それから時々ふたりで会うようになった。会うといっても、せいぜいひと月に一度、ほんの一時間ほど他愛ない話をするだけだ。勉強熱心な浩介は、金沢にゆかりの深い犀星や秋聲、鏡花の本をよく読んでいた。また親方の家に配達される新聞も隅から隅まで目を通していて、そんな浩介からいろんな話を聞くのが楽しみだった。それは花街しか知らない朱鷺にとって、違う世界に触れられる唯一のとば口でもあった。同時に、浩介と過ごす時間は、芸妓から普通の娘に戻れるかけがえのないひと時でもあった。

 しかし、惹かれたのはそればかりではない。年端もいかぬ頃、家族との縁を断たねばならなかった境遇は、ふたりに共通する寄る辺なさでもあった。心を寄せ合うようになったのは自然の成り行きだったろう。

 大事な話って何やろ。

 暗がり坂を登り切り、初詣客で賑わう参道から逸れて拝殿の裏手に回ると、大きな松の木の下で浩介が肩をすぼめて立っていた。朱鷺は小走りに近づいた。

「待たせてかんにん」

 浩介がぱっと表情を輝かせ、照れ臭そうに笑う。

「いや、僕も今来たとこや。こんなに早くから悪かったな。昨夜も遅かったんやろ」

「大晦日やさけ」

「わかってたんやけど、どうしても今日話しておきたくて。やっぱり一年の始まりやし」

「話ってなに?」

「あのな……」

 しばらく、浩介はためらうように言葉を濁らせた。

「あたし、十時までには戻らんといかんの」

 置屋の朝食は十時と決まっている。いつもなら少しぐらい遅れても構わないが、今日は元旦である。おかあさんの時江をはじめ、ばんばの稲、お姐さんたちや、見習いのたあぼたちも揃ってお雑煮をいただくのが毎年の習わしだ。

「そやな。うん、あのな、あの、驚かんでほしいんやけど」

 そこで浩介は大きく息を吸った。

「僕の嫁さんになってくれんか」

「え……」

 すぐには意味がわからず、朱鷺はまばたきした。

「朱鷺は今年で年季明けやろ。これでようやく自由の身になれる。だからって貧乏暮らしの僕のところに嫁に来てくれなんて言えるはずもないんやけど、やっぱり思い切って言うことにした。どうやろ、僕の嫁さんになってくれんやろか」

2024.10.26(土)