京都祇園がたおやかな公家文化を、江戸花街が粋な町人文化の流れを汲んでいるとすれば、金沢は質実剛健な武家文化を踏襲している。実際、女将の時江は旧藩士の家柄出身だ。
士族の娘を芸妓にする許可が下りたのは明治十二年。没落したとはいえ、時江の武士の娘としての気概は失せることなく、礼儀に厳しく一本気な気質である。置屋によっては芸妓の他に身体を売る娼妓を置いたりもするのだが、それを断固受け入れず、芸妓は芸でしのぎを削るという信念を貫いている。
元旦の膳には、普段使いとは違った器が並べられていた。金蒔絵が施された輪島塗の重箱と、華やかな文様が施された九谷焼の銘々皿だ。塗り椀によそわれた雑煮は、昆布出汁が利いたすまし仕立てで餅は角餅、そこに加賀芹とかまぼこが載っている。あとは黒豆、きんとん、なます、鰤。
いつもの一汁一菜とは大違いの豪華さで、幼いたあぼたちは目を輝かせて口に運んでいる。前の通りを加賀獅子舞が、賑やかな声を上げながら練り歩いてゆくのもお正月ならではだ。
「このべろべろ、おいしいなぁ」
トンボが声を上げた。
べろべろというのは溶き卵を寒天で固めた郷土料理で、えびすとも呼ばれ、金沢の祝いの席には欠かせない一品である。
「トンボ、そんな大きな口を開けたらだちゃかんやろ」
早速稲に𠮟られて、トンボがぺろりと舌を出す。こんなやり取りは日常茶飯事だ。
トンボはひがしの花街では変わり者で通っている。踊りや三味線といった芸事はすべて身に付けているのだが、芸妓姿にはならず、いつも男仕立ての着物を纏い、髪も結わずに後ろで高くひとつに束ねた姿で座敷に出ている。
それを許していることに、他の置屋の女将たちは眉を顰めているのだが、おかあさんは気にしていない。実際、そんなトンボを珍しがってお座敷の声はよくかかっていた。
トンボは五尺六寸と背が高く、肌が透けるように白く、栗色の髪と鳶色の目を持っている。
異国の血が入っているのだ。それをとやかく言われても、おかあさん同様、トンボも気にしていない。「これでお呼びがかかるんやさけ得しとるわ」と、あっけらかんとしている。
2024.10.26(土)