門倉の隣に進んで、朱鷺は改めて畳に指を突く。

「あけましておめでとさんでございます。今年もよろしゅうお頼み申します」

「ああ、こちらこそよろしゅうな」

 門倉は金沢で大きな材木問屋を営んでいる。年は五十半ば。髪の半分は白く、恰幅がいい。

 元旦に門倉からお座敷の声が掛かった時はほっとした。というのも、年末にはいつも何度も呼ばれるのに、どういうわけか今回はまったく予約が入らなかったからだ。口さがない芸妓たちが「どうやら朱鷺は門倉さんに見限られたらしい」と噂しているのも知っていた。

 門倉の隣に座ると、仲居が硯と細筆を差し出した。まずは簪の鳩に目を入れてもらう。それが習わしである。門倉が細筆を持ち、慣れた手つきで墨を入れた。

「あんやとうございます」

 この簪の鳩に目を入れるのは旦那の役目である。旦那、つまり門倉は朱鷺の十五の時の水揚げの相手であり、以来、さまざまな後ろ盾となってくれている存在だった。

「さ、まずは年明けの一献を」

 朱鷺が酌をし、門倉が受ける。もう付き合いも五年になった。

 時江から水揚げの話を聞かされた時、それがどういうことを意味するのか、朱鷺はほとんど理解していなかった。君香や桃丸から聞かされて、ようやく認識したものの、今度は驚きと不安が募っていった。そんなこと、自分にできるだろうか。

「無理強いするつもりはないが」と、あの時、時江は言った。

「あんたの気持ちがいちばん大事なんやさけ」

 しかし十五とはいえ、朱鷺は自分の立場をわかっていた。芸妓として一本立ちするには費用がかかる。一本立ち後も着物や帯、お稽古代に日用品まで、何につけてもお金がかかる。早く借金を返して自由の身になりたい。田舎にも仕送りしたい。親身になってくれる時江にも負担をかけたくない。信頼できる旦那を持つための水揚げは、芸妓として通らなければならない道でもあった。

 相手は誰なのか、おずおずと尋ねる朱鷺に、時江は門倉の名を口にした。

2024.10.26(土)