門倉には振袖芸者の頃から可愛がってもらっていた。金沢で指折りの資産家だが、誰に対してもえらぶらず、お座敷での振る舞いがこなれている。お金でねじ伏せようとする客の多い中、芸妓との接し方に鯔背が感じられた。その人柄から芸妓衆の評判も上々で、すでに何人かを水揚げしている実績があると聞いている。門倉なら安心して身を任せられそうに思えた。
「どうやろか」
「はい、よろしゅうお願いします」
それで決まりだった。
初めての夜、緊張に身を硬くする朱鷺に門倉はあくまで優しかった。無理を通したり身勝手な振る舞いなどまったくなく、むしろ労わるように接してくれ、朱鷺はどんなに安堵しただろう。門倉に頼んだことは間違いではなかったと、五年たった今も心から思っている。
しばらくするとトンボや他の芸妓たちもやって来て、座は一気に華やいだ。
トンボは男仕立ての黒留袖に、特別に誂えた金茶の半幅帯を変わり結びにしている。また髪は鮮やかな朱色の帯締めで飾られている。
「門倉さん、おめでとさんでございます。今年もよろしゅうお願い申します」
「こちらこそ、よろしゅうな」
「早速ですけど、お年玉はいつでも受け付けておりますさけ」
相変わらずトンボは物怖じしない。
「おいおいトンボ、いきなりそれか」
門倉も慣れたものだ。
「遠慮しないで、豪快にポンっと」
「トンボはもうちょっと遠慮しろ」
そう言いながらも門倉はすでに用意していて、ひとりひとりにポチ袋に入ったご祝儀を手渡した。そういう気前のよいところもまた、花街での評判の高さに繫がっている。
杯を重ね、ほろ酔いになった頃、門倉が言った。
「そろそろ舞いを披露してもらおうやないか」
「何を踊りましょう」
「トンボもいることやし『おとこ川をんな川』がいいな」
「承知いたしました」
一度も相容れぬまま流れゆく川。いわば悲恋を描く舞いだが、金沢の町を支えるふたつの川ということもあり、慶事の意味合いも持つ。
朱鷺はトンボと並んで、扇子を前に置き、一礼した。
お姐さんたちの三味線と鼓が始まり、ふたりは構える。をんな舞いの朱鷺は嫋やかに楚々として、おとこ舞いのトンボは力強くそれでいて哀しみを漂わせつつ、ふたりは舞い始める。そしてあてどない男と女になってゆく。
ふと、浩介の言葉が蘇った。
「僕の嫁さんになってくれんか」
年季明けは、芸妓にとって身の振り方を考える大きな区切りである。こんな自分がまっとうな所帯を持つなど夢の話だと思っていた。しかし、選びさえすれば自分もそんな生き方ができるのだ。胸の高鳴りと共に、それは朱鷺に確かな夢をもたらしていた。
おとこ川をんな川
定価 2,090円(税込)
文藝春秋
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2024.10.26(土)