炎上しても支持されたワケ

 いくら炎上してもオアシスの勢いは止まらなかった。むしろ、階級社会のイギリスにおいて、労働階級のヒーローとして熱狂的に受け容れられていった。そして1995年、2ndアルバム『(What's the Story) Morning Glory?』で国民的人気を決定づける。今なおオリジナルアルバムとして英国歴代3位の売上を誇るほどの社会現象となったのだ。

 ノエルいわく、オアシスの魅力は「団結」にある。高学歴アーティストが得意とする社会批評や政治風刺を毛嫌いしていた彼は、自分ごとばかりを歌う歌詞や「我々vs敵」といった対立構造を作る歌詞を避けた。オアシスの音楽は、「僕と君」視点の簡単な歌詞で合唱を起こし聴衆をひとつにする、「我々みんなの音楽」なのだ。

 たった3年で英国史上最大級のバンドとなったオアシスが絶頂を迎えたのは、1996年ネブワース公演。収容25万人に対して、チケット応募は250万人、国民の4パーセントに及んだ

ドラッグ、兄弟間の諍い…オアシスの「凋落」

 しかし、ここから「凋落」の時代に突入する。貧困から成り上がって大金を手に入れたメンバーたちは、贅沢とドラッグに夢中になって曲づくりをおろそかにしていった。結果、期待外れと評された3rdアルバム『Be Here Now』以降、勢いをそがれてしまう。

 なにより、兄弟間の衝突が絶えなかった。喧嘩は日常茶飯事で、暴力沙汰も起こしていた。ノエルは、根本に主導権争いがあったと主張する。兄がつくった曲を主に弟が歌うという、どちらが主役なのかわからないバランスが、喧嘩の火種になっていた。

 それでも全7枚のアルバムを出したが、ノエルが40代に入った2000年代終盤、バンド内部は最悪の状態となっていた。リアムが喉の不調を理由に英公演をキャンセルすると、ノエルは「ただの二日酔い」と難癖をつけて裁判を起こそうとした。その直後、パリ公演の壇上で口論が発生し、リアムが兄のギターを斧のように振り回すまでに発展。

 ノエルが脱退を発表し、オアシスは解散した。その際の脱退声明で、ノエルは「脱退を知らせるのに若干の悲しみもあるが、なにより安堵している。好き勝手言われるだろうが、単純に、もうリアムと仕事ができない」と語っている。

2024.07.28(日)
文=辰巳JUNK