「今夜 俺こそがロックンロール・スター」。楽曲「ロックンロール・スター」中の堂々たる宣言から30周年を迎えた2024年、伝説のバンド・オアシスのノエル・ギャラガーが日本のフジロックに降臨する。
オアシスといえば、イギリスの国民的バンドでありながら、兄・ノエルと弟・リアムの諍いから解散したことがあまりに有名。そんなオアシスとノエルの軌跡を振り返る。
ひきこもりの兄と不良の弟…ノエルとリアムの幼少期
1967年イギリスのマンチェスターにて、アイルランド系の労働者階級家庭の三兄弟の次男として生まれたノエル・トマス・デヴィッド・ギャラガー。幼少期は、家族に暴力をふるっていた父に、とくに標的にされたという。
両親が離婚しても荒れた日々を送ったが、停学時に母からもらったギターにのめりこむことで、寡黙でひきこもりがちな音楽青年となった。本人いわく、人とつるみたがらない“猫タイプ”。対して、つるみたがりな“犬タイプ”こそ、5歳下の弟、リアムだった。
兄弟で一番の暴れん坊として喧嘩に明け暮れていたリアムは、ライバルの不良に金づちで頭を殴られたことで突然音楽に目覚めたという。このリアムが1991年にはじめたバンドが、オアシスとなった。
それまでアーティストになる気はなかったノエルだったが、弟からバンドのマネージャーにならないかと誘われたことをきっかけに、バンドのリード・ギタリストおよび作曲をはじめとする創造面をとりしきるリーダーに就任する。
主に兄が作曲した曲を弟が歌う兄弟バンドのオアシスは、1994年発売のデビューアルバム『Definitely Maybe』で大成功。陰鬱なグランジロックが流行っていた90年代当時、古き良きロックの香りをまとわせた彼らの歌は、人々に希望を与えるアンセムとなっていった。
ギャラガー兄弟は、傍若無人な不良キャラとしても話題をつくりつづけた。行く先々で暴れるため、ほとんどのホテルチェーンで出禁になったそうだ。ザ・ヴァーヴのツアー前座に抜擢されたときも、アムステルダム行きのフェリーで乱闘に参加し、ノエル以外のメンバーが逮捕されたことでおじゃんになった。
ほかのバンドへの罵詈雑言も有名だ。彼らいわく「上流階級ロック」ブラーのメンバーとの対立が悪化した際、ノエルが放った罵倒「エイズで死ねばいいのに」は今なお悪名高い(発言後に謝罪)。
2024.07.28(日)
文=辰巳JUNK