若宮が三軒目の家の中に踏み込み、姿が見えなくなった時だ。背後に何者かの気配を感じて、雪哉は弾かれたように振り返った。

「あ、う」

 びくりと体を震わせて、生い茂る雑草に尻もちをついた人影に、雪哉は目を丸くした。

 貧相な茶色の着物に、ぼさぼさの髪の毛。怪我をしているのか、体には血がついている。木の陰に隠れるようにしているのは、紛れもない、人形の八咫烏だった。

 怯えたように縮こまる姿をまじまじと見つめて、雪哉は安堵の息をついた。若宮のいる方へと体を向け、大声を出す。

「殿下、生存者がいました!」

 何だと、と声を上げて、若宮が慌てた様子で家の中から出て来た。

「でも、怪我をしているようです。一刻も早く」

 手当を、と続けようとして、雪哉は口を噤んだ。するりと、背後から首に腕が巻きついて来たのだ。

 それを訝しく思うよりも先に、表情を一変させた若宮が叫んでいた。

「そいつは、八咫烏じゃない!」

 気付いた時にはもう遅かった。

 確かに人の形をしていたはずの腕の筋肉が、いきなり太く盛り上がり、瞬く間も無く毛が生える。毛皮の襟巻をきつく巻かれたような感触とともに、雪哉の首がきゅっと絞まった。

 これは、首を折られる。

 他人事のようにそう思い、為す術もなく体が宙に浮く。

 ほんの一刹那が、雪哉にはひどくゆっくりと感じられた。

 若宮との間には距離がある。この体勢では抵抗も出来ない。何にせよ、あとほんのちょっとでも力を入れられれば手遅れだ。

 若宮と目が合った。

 真っ直ぐに雪哉の目を見据えたまま、若宮は流れるような動作で刀を振りかぶっていた。

 まるで、何千回、何万回と繰り返して来た動作を行うかのように、滑らかな動きだった。躊躇いはなく、したがって、刀を振りかぶってから投擲するまでの時間は、瞬きひとつ分しか必要とされなかった。

 鞭のように全身をしならせて放たれた刀は、風を切り、一直線に雪哉の顔面へ向かって飛んで来る。そして、雪哉の顔すれすれ、こめかみの髪の毛を数本犠牲にした所に、容赦なく突き刺さったのだった。

2024.07.27(土)