そして、部屋の中央に蹲った黒い影が、何やら動いているのが分かった。
むっと立ちこめる血なまぐささの中、ぴちゃぴちゃと何かを啜る音が響く。
一拍の後、夢中で手元のものにかかりきりになっていたそいつが、動きを止めた。
背中を丸めたまま、ぽかん、とした表情で振り返った顔は赤ら顔で、八咫烏のものではあり得ない。見開いた目には白目がない。虹彩は金色に光り、血が飛び散った体は、みっしりとした毛皮に覆われていた。
猿だ。
それも、とてつもなく大きい。
信じられないほど大きな猿に、八咫烏が喰われているのだ。
「殿下、逃げて!」
「飛べ雪哉!」
雪哉と若宮が叫んだのは、ほぼ同時だった。
事態を把握出来ずにいたらしい大猿が、その声に、突如として気配を変えた。
しゃぶっていた骨を吐き捨てると、歯を剥き出しにして若宮へと突進して来る。咄嗟に若宮が体を捻り、猿の攻撃をかわした。狙いが外れた猿は、引き戸を派手にぶち抜いて外へと転がり出る。
叫んですぐに鳥形へと転身した雪哉は、上空から、ゆらりと立ち上がった猿の姿を見て絶望的な気分になった。
やはり大きい。七、八尺はあるだろうか。まともに組み合っては、勝ち目が無い。
岩のように盛り上がった巨体の中で、赤い顔だけが浮かんで見える。大きな目は淀んでいて、血の臭いに酔っているように見えた。爪の生えた指先には、先程まで貪っていた八咫烏の血が付着している。
先日の大烏とはわけが違う。向こうは明らかに、若宮を殺すつもりで向かって来ている。
――何をしている、さっさと逃げろ!
そう伝えるつもりで雪哉は鳴いたが、若宮は動かなかった。
大猿に向き合って刀を構えたまま、ただ、低い声で問いかける。
「貴様、何者だ。一体、どこからここへ来た」
それに対し、猿が小さく口を動かした。その一瞬だけ、馬鹿にしたような雰囲気を見せたものの、すぐに問答無用とばかりに若宮に襲いかかって来た。
2024.07.27(土)