Ⓒ阿部智里/文藝春秋/NHK・NEP・ぴえろ
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累計200万部突破&第9回吉川英治文庫賞を受賞した「八咫烏シリーズ」を原作としたNHKアニメ『烏は主を選ばない』。第14話「禁断の薬」から、本シリーズの第3巻『黄金(きん)の烏(からす)』へとストーリーが進みました!

ぜひ原作小説もお愉しみいただきたく、『黄金の烏』の序章と第1章の全文を無料公開します。これをきっかけに「八咫烏シリーズ」を多くの皆さまにご愛読いただければ幸いです。


八咫烏シリーズ 巻三
黄金(きん)からす)
阿部智里

序章

 あたしがそれ(・・)を手に入れたのは、ほとんど奇跡みたいなものだった。

「これを、山の手のお屋敷に届けておいで」

 そう言われた時、あたしは濡れた布巾で卓上を拭いていた。

 古びた卓はいくら拭ってもきれいにはならず、どこかで酔漢が吐いたのか、窓の外からは饐えた臭いが漂って来ていた。酒臭い空気に、いいかげん辟易していたところだったのだ。

 あたしの働いていた酒場は、湖に面した街の、裏通りにあった。

 表通りには立派な旅籠が並んでいたけれど、裏通りは地元の者や、湖で働く水夫のための店がほとんどだ。客層も当然それに見合ったもので、あたしは毎日のように、酔っ払い達にちょっかいを出されていた。こんなところ、いつか絶対辞めてやると思っていたけれど、真面目に働いていれば、もっと良い働き口が見つかるかもしれないとも思っていた。だから、山の手のお使いにあたしが選ばれたのは、至極当然の事だった。

「お前は、他の者と違ってさぼらないからね。大事な届け物を任せても、大丈夫だろう」

 酒場の女店主は、吝嗇家で人使いも荒かったけれど、人を見る目だけは確かだった。

 荷物の届け先である山の手は、貴族達の住まう区域だ。場合によっては宮中とされるその一画は、下手をすればあたしなんかが、一生足を踏み入れる事もないような場所だった。

 ただでさえ、宮廷のきらびやかな暮らしに憧れていたあたしは、そこに行けるのが嬉しくて、浮かれたまま中央城下と山の手を繋ぐ橋を渡った。

2024.07.27(土)