若宮が舌うちをする。

 猿が両腕を振り上げた。醜悪な歯を剥いて、鼓膜を劈くような咆哮が轟く。力ずくで押しつぶそうとしたのか、猿は全身で抱きつくように、若宮へと跳躍した。

 それを真正面から受けた若宮は、猿を冷たく睨み据えたまま、右手に持った刀を軽く振り下ろした。

 刀身がぎらりと光り、勢い良く血飛沫が弾け飛ぶ。

 勝負は、あっと言う間もなく決着した。

 若宮と猿の姿が重なったと思った次の瞬間には、猿の首はぽん(・・)と、胴体から切り離されていたのだ。

 宙を舞った頭部が、歯を剝き出しにしたままで何度か跳ねて、転々と転がっていく。血を噴き出しながら崩れ落ちる巨体に巻き込まれないよう、落ち着いて足を引いた若宮は、地に落ちた頭を冷然と見下ろした。

 あまりにあっけない猿の死にざまに、雪哉は我が目を疑った。慌てて地上に下り、人形(じんけい)となって若宮のもとへと駆け寄る。

「お怪我は」

「無い。だが、八咫烏が何人も喰われている。被害の状況を確認したら、田間利まで一旦戻るぞ」

 宿場町には自警団が存在しているし、宿場から郷長屋敷に要請をすれば、領内警備の兵が使えるはずである。

「この集落には、四世帯、十三人の八咫烏がいたはずだ。全員殺されたとは思いたくないが……」

 濁した言葉の先を察して、雪哉は大きく喘いだ。

「一体――一体、こいつは何なのですか!」

 八咫烏を喰らう大猿だなんて、今まで見た事も聞いた事も無かった。得体の知れない猿への恐怖は、仙人蓋で狂った八咫烏どころの話ではない。

 半ば恐慌状態で叫ぶ雪哉の言葉に、若宮は険しい面持ちを返した。

「それは、私の方が聞きたい」

 とにかく、状況の確認が先である。

「お前はここにいろ」

 雪哉を馬の傍に留めると、若宮は他の家屋を調べようと踵を返した。次々と戸を開けて中を検めてゆく若宮の背中を、雪哉はハラハラしながら見守った。生きている者がいて欲しいと願う一方で、情けないと分かっていながら、すぐにでもこの場を立ち去りたくてしようがなかった。

2024.07.27(土)