「あれ。何に見えますか」

 井戸の前、掃き清められた土の上に、水たまりのような黒いしみと、丸まった布きれのようなものがある。

「ここからでは、何か分からんな」

「一度、降りてみますか」

 若宮はわずかに考えをめぐらせた後、頷いた。手綱を操作して、井戸に近い少し開けた場所へと馬を下ろす。

 馬の背から降り立った瞬間、雪哉は顔をしかめて、無意識に一歩足を引いた。

 ここに来てようやく雪哉にも、若宮の言う血臭が分かった。確かに生臭い。生き物が、大量に血を流した臭いがする。それから、腐敗の始まった、死肉の臭い。

 目の前を横切った蠅を追って視線をめぐらせた雪哉は、井戸の前に落ちた物を確認し、息を吞んだ。

 それは、八咫烏(にんげん)の腕だった。

 丸まった布切れと見えたものは、右手の肘から先の部分だ。蠅のたかった掌は上を向いており、付着した血液は乾いている。それが、上空からは水たまりと見えた血だまりの中に、ぼとりと一つ、落っこちているのだ。

 呆然とその光景を見つめていた雪哉は、すぐに、その血だまりの先にあるものにも気が付いた。腕が落ちている場所から一番近い民家の戸口まで、何かを引きずったような痕がある。

 引き戸は、今は閉ざされている。雪哉の総身が粟立った。

 声を出すよりも早く、雪哉は若宮によって、戸口から遠ざけられた。

「音を立てるな。すぐに転身出来るようにしておけ」

 囁かれ、無言で頷く。

 雪哉が離れたのを見計らい、若宮は腰の刀を抜いた。そのまま引き戸に手をかけて、一気に開け放つ。

 開かれた扉から射し込んだ光が、室内の様子を照らし出した。

 ――無残なものだった。

 室内に散乱する、ばらばらになった手や足、赤黒い内臓。

 頬の部分が齧られた女の顔は苦悶の表情のまま、白目を剥いて土間に転がっていた。囲炉裏端は、今やどす黒い血の海に覆われて、もとの色が分からない。壁にまで飛び散った血痕の下には、肉片の付いた白い骨が山積みにされている。

2024.07.27(土)