日が傾き始めた頃になり、異変に気付いたのは、若宮が先だった。
空を飛んでいる最中である。
まだ栖合の影も見えていなかったのに、若宮は不意に顔を上げ、己の背中に摑まっている雪哉を振り返った。
「何か、臭わないか」
雪哉には何も感じられなかったが、若宮の声は緊張を孕んでいた。
「分かりませんけど、どんな臭いです?」
一瞬迷う様子を見せてから、若宮は低く答える。
「生臭い。血の臭いがする」
「血……」
「そう。それも、尋常の量じゃない」
風上は、進行方向だ。
一瞬押し黙ってから、雪哉は曖昧に笑った。
「山奥ですから、猪でも狩って、村で捌いているのかもしれませんね」
もしくは鹿とか、と明るく言い添えたものの、再び前を向いた若宮の頭はぴくりとも動かない。
雪哉にも分かっていた。
もし若宮の予感通り、仙人蓋と栖合の間に何らかの関係があったのだとしたら、住人同士の間で流血沙汰が起こっていたとしても、おかしくはないのだ。
いくらもせず、行く手に集落の屋根を捉えたが、若宮は喜びの声を上げなかった。
「上から様子を見る。何か見つけたら報告しろ」
「承知しました」
鋭い口調で命令されて、雪哉も今度は固い声で答える。
そのまま、集落の上空を旋回する。
時刻は、夕方と言うには若干早い。誰かが働いていてもおかしくはない時間帯だったが、集落にも、ささやかながら開墾された畑にも、村人の姿はひとつとして見当たらなかった。
「誰もいない……?」
雪哉と若宮を乗せた馬のすぐ横を、トンビが吞気な声を上げて通り抜けて行く。
静かだった。
物干し竿には、洗濯物が揺れている。家の軒先には干物がぶら下がっており、誰かが暮らしているのは間違いない。何も載せていない荷車が二台、まるで、さっきまで使われていたかのように放置されていた。
皆、山に出ているのだろうかと思っていると、とある家の前の井戸端に、何かが落ちているのを見つけた。
「殿下」
目の前の羽衣を引っ張って、もう片方の手で下を指し示す。
2024.07.27(土)