熱湯と水を入れた二つの桶を床に置いて、雪馬は湯帷子を身に着ける墨丸に話しかけた。

「お湯をお使いになっている間だけでも、お話しさせて頂いてよろしいでしょうか」

 雪哉の件で、と言うと、心得たように頷かれる。

「なんなりと」

 雪馬は、空の桶に湯と水を入れ、ちょうど良い加減に調節した湯を墨丸の背にかけた。

「弟が、中央で働きを惜しまれていたというのは本当なのですか」

「本当だ」

 間髪を容れない返事であった。

 墨丸はそれだけでは不足だと思ったのか、淡々と言葉を続けた。

「雪哉殿は、大変優秀だった。働きぶりも見事なもので、若宮殿下は、特に雪哉殿が朝廷を去るのを惜しまれていた。近習にも取り立てて、最後にはずっと自分の配下でいて欲しいと請うたくらいだ」

 それを拒んだのは雪哉の方で、若宮が雪哉を放逐したなど、とんでもない話だと言う。

「郷長のお話を聞いて、こちらが驚いてしまった。雪哉殿は、中央で自分が何をしていたか、お父上には伝えていないのか?」

 ――やはりそうだったか。

 心底不思議そうな墨丸を前にして、雪馬は深くため息をついた。

「雪哉は、自分は中央で何も出来なかった、と言っています」

 中央から帰って来た雪哉の報告は終始一貫していた。

 若宮殿下のお役に立てず、自分はずっと足手まといだった。人員が足らず一年間勤める事になったが、それもやむを得ずであって、他に側仕えが見つかれば、すぐにでもお役御免になったでしょう、と。

「父は、馬鹿正直にそれを真に受けているのです。ですが、そんなわけはあるまいと、ずっと思っておりました。今回、墨丸殿からお話を伺えて良かった」

 墨丸が、問うような視線を寄越して来た。

「詳しくお聞きしても?」

 雪馬は、一度深呼吸して覚悟を決めると、墨丸の目を真っ直ぐに見据えた。

「我ら三兄弟のうち、雪哉だけ、母親が違うという話はご存じですか」

 雪馬の目を見返した墨丸は、ゆっくりと頷いた。

「知っている」

2024.07.27(土)