「リッコで出す料理が嫌いって意味じゃないよ。パパの作る料理はすごいよ。芸術品だと思う。だけど、芸術品じゃなくて、日用雑貨みたいな料理があっても良いと思うんだ。それでどっちを作るか、自分で選びたい」

「……日用雑貨。それがお前の選択か」

「うん」

 仁の声は熱を帯びた。

「俺、料理が好きだ。これから先も料理を仕事にして生きて行きたい。ずっと料理が好きでいたい。でも、このまま芸術品を目指して作り続けたら、料理が嫌いになるような気がする。俺はそれが怖いんだ」

 父の顔を見返す視線にも力がこもった。 

「俺は自分の選んだ道で料理と向き合うよ。もしかしたら、いつかもう一度芸術に挑戦したいと思う日が来るかも知れない。そうしたら迷わずリストランテ・リッコの扉をたたくよ。リッコで修業させてもらう」

 寛は息子の顔を見つめ、その言葉を頭の中ではんすうした。急に思い付いたわけではなく、時間をかけて熟成され、形を成した考えのように思えた。その顔を見れば決意が固いのが分る。これほど決然とした顔の息子は見たことがなかった。

「……分った」

 絞り出すような声で答えた。

「明日、店で岡崎に話そう」

「ありがとう、パパ」

 仁は目頭が熱くなった。

「これまでパパが教えてくれたこと、リッコで勉強したこと、全部俺の財産だよ。絶対に無駄にしない。きちんと活かして使わせてもらうよ」

 寛は黙って深く頷いた。寂しくはあったが、胸にストンと落ちるような納得があった。息子の目がうるんでいるのを見て胸を打たれた。

 これで良かったのだと、自分の心に言い聞かせた。すると、あんの気持ちがいてきた。両肩が軽くなった。だろうと考えて、今、息子が独り立ちしたことに気がついた。

「……なあんだ」

 寛は思わず苦笑した。仁がげんそうにこちらを見た。

「どうしたの?」

「別に、何でもない」

 寛は柔らかな微笑を浮かべた。今度は息子に向かって。

 昨夜の居酒屋はなかなか見つからなかった。初めての街で、夜だったし、道順もうろ覚えだったから、探し出せるかどうかこころもとない。しかし、アーケードの商店街の途中で右に曲がって、もう一度左へ曲がった路地沿いにあったのは確かで、迷うほど複雑な地形ではないはずだった。

2024.06.12(水)