寛は息子を説得する言葉を探したが、それは見つからず、むなしく唇を震わせた。

「パパ、リッコの跡継ぎじゃなくなっても、俺はパパの息子だよ。パパが大好きだし、今まで大事に育ててもらって、感謝してるよ。本当にありがたいと思ってる。だけど、リッコを継ぐことは俺の望んでることじゃないんだ。リッコを継ぐのは俺には重荷で、苦しいだけなんだ」

 日本の多くの父と息子と同じく、寛と仁もこれまで腹を割って互いの胸のうちを話し合ったことはなかった。思っても口に出さずにいた。だから息子の素直な言葉は、父の心を直撃した。寛は肩を落としてうなれた。

 仁は目の前の父が一回り小さくなってしまったように見えて、胸が痛んだ。

「ごめんね、パパ。でも、本当のことなんだ」

 寛はやっと顔を上げて、力のない声で尋ねた。

「それで、お前の望みは何だ?」

「俺、店を辞めて、出張料理をやろうと思う」

「出張料理?」

「うん。『伝説の家政婦』って、テレビで観たことない? タサン志麻って料理人が予約を受けた家庭を訪問して、三時間で作り置きできる料理を十種類以上作るの。俺、あれをやりたい」

 寛は半ば驚き、半ばあきれてまじまじと息子の顔を見た。

「今日、突然思い出したんだ。俺、似たようなことやったことがある」

「お前は出張料理なんか経験無いはずだ」

「うん。でも、鈴木さんが退職してすぐ、マンションに遊びに行ったとき『賄いがなくなったからご飯が面倒で』って言うんで、冷蔵庫の中の物で何種類か料理作ってあげたんだよ。鈴木さん、すごく喜んで『よくまあ、これだけの料理を考えられるね。さすがシェフの息子さんだ』って褒めてくれた」

 その時の嬉しさと誇らしさの記憶が、今夜、突然に甦った。あの居酒屋で女将さんと話をしたせいだろうか。

「俺のやりたい料理って、そういう方向なんだ。普通の家庭で、普通に美味しいもの作って、普通に喜んでもらう……」

 寛が哀しげに目をまたたいたので、仁はあわてて付け加えた。

2024.06.12(水)