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天女のような灯台
三保の松原から清水灯台までは、車で十分ほど。三保半島の突端にある。車を降りて見上げると、つるりとした白い肌を持つ灯台がすっと立っている。
「きれいですね」
それが最初の印象だった。
灯台を個別に比べて見たことがないのだが、この清水灯台は、しなやかで細身で美しいな、と思った。
「日本で初めての鉄筋コンクリートで造られた灯台なんです」
教えてくれたのは、現地で待っていてくれた海上保安庁の深浦勝弘(ふかうらかつひろ)さん。
この灯台が建てられたのは、明治四十五年のこと。当時としては最新技術であった鉄筋コンクリート製ということもあり、完成から七カ月で二万人が訪れたという。
「観光スポットだったんですね……」
灯台というと、どこかポツンと寂しい場所に建っているような気がしていた。
どうしてそう思ってしまうのかというと、やはり映画『喜びも悲しみも幾歳月』のイメージによるところが大きい。過酷な自然と向き合い、夫婦で支え合いながら苦労する……そんな印象である。
「ここは、すぐ裏手に官舎があったんですよ」
深浦さんによると、灯台の後ろには広い官舎が設けられていた。こちらも当時としては最先端の住居で、灯台守は家族と共に暮らしていたという。役人として給料も安定し、オーシャンビューの住まいがあり、最先端の灯台を任される。
「ここの灯台守はかなりハイカラさんな暮らしぶりだったのでは……」
そう思わせる暮らしが想像された。
「これなら、夫婦で赴任しても耐えられますね」
などと、やっぱり『喜びも悲しみも……』のイメージを引き合いに出しつつ、当時の様子を思い浮かべる。
「今は自動で点灯するのですが、平成七年までは灯台守がいたんですよ」
と、深浦さん。意外と最近まで、人力でのチェックを欠かせなかったらしい。
「最後の灯台守の娘さんがデザインしたのが、この清水灯台の特徴の一つでもある、天女の風見鶏なんです」
頭上を見上げると、清水灯台のてっぺんには確かに天女の姿を象(かたど)った風見鶏が、右へ左へとひらりひらりと舞っている。
何となく、この灯台そのものの佇まいも、能舞台で見る、白い着物の天女の姿に似ているように思える。
「では、中に入ってみましょう」
安全のためのヘルメットを装着し、いよいよ灯台の中へ。
2024.05.31(金)
文=永井紗耶子
写真=橋本篤
出典=「オール讀物」2024年5月号