他動運動は特別難しいケアではない。でも、ササッと雑に済ませては充分な運動にならない。丁寧にやらなければ効果が低い。

 右手で大岡さんの足首を、左手で膝を持ち、ゆっくり膝を折り曲げるようにしてお腹へ近付ける。伸ばして、また折り曲げる。それをゆっくり繰り返す。長年の庭木の剪定を支えた、職人の足だ。大岡さんが立って、歩いて、踏ん張って、働いてきた足。きっと、前はもっと丈夫だったのだろう。今は、ふくらはぎの筋肉はだいぶ痩せ、色は白く、脛は細くなってきている。でも、この足が今の大岡さんの足なのだ。

「大岡さん、頑張っているでしょう?」

「思い残し」の女の子が、見守ってくれているような気がして、思わず声をかける。やはり反応はない。私が一方的に視えるだけで、何の交流も持てないのだ。

 ベッドの反対側に移動し、同じようにもう片方の足も運動させる。すぐ隣に女の子がいる。大岡さんの足を曲げたり伸ばしたりしながら、早くあなたのことも見つけるからね、待っていてね、と心の中で伝える。

 目を覚ますと、遮光カーテンの隙間から陽が細く差し込んで、埃がきらきらと光っている。壁にかかった時計に目をやると、十時を過ぎていた。休みの日はつい寝坊をしてしまう。のろのろとベッドから出る。

「俺たちがやらなきゃいけないのは、原因の究明じゃないだろう?」

 サンボに言われたことが頭の隅に残っている。わかってるよ、と思いながら、昼間のマンションの様子だけでも見ておこうと思った。

 食パンにハムをはさんだ適当な朝食を済ませ、家を出る。今日はぽかぽかと暖かい。グレイス港台までは歩いて二十分くらいだ。自宅アパートの前にある桜の木から、花びらが舞っている。植物と土の匂いと、湿気の混じったような春特有の甘やかな風。

 何か少しでもわかるといいのだけれど、と気が急いて、歩くのが速くなる。マンションに着く頃には、すっかり体が温まっていた。今日は一人だし、不審者に思われたら困る。あまり長いことフェンスに登っていられないから、さっと確認して素早く降りた。天気の良い昼間なのに、カーテンがぴったりと閉じられたままだったし、洗濯物も干されていなかった。さあ、どうしようか。私が思い込んでいるだけで、この部屋と大岡さんの「思い残し」の女の子は無関係なのかもしれない。いや、どんな人が住んでいるのかだけでも、調べてみてもいいかもしれない。でも、マンションに入ったら不法侵入になってしまうのだろうか。エントランス前でしばらく悩む。オートロックのないマンションだから、入ろうと思えばすぐに入れそうだ。ベランダの位置から、部屋もわかるだろう。

2024.05.11(土)