サンボがもっともなことを言う。
「わかってるよ」
わかっている。私たちがやらなきゃいけないのは、入院している患者の看護であって、「思い残し」の解消ではない。でも、視えてしまったんだもの。解消しないと、気が済まない。諦められる気はしなかった。でも、これ以上サンボに迷惑をかけるわけにはいかない。
「帰ろうか」
私の言葉に、サンボは少しホッとしたような顔をする。二人で涼しい春の夜を歩いた。
家に帰って、千波の写真を眺めながら、私は一つ小さくため息をつく。千波のいない部屋は、とても広く感じる。
病棟の談話室で、車椅子に乗った患者と付き添いのご家族が窓から外を眺めている。天気が良くて、空がきれいな日だ。この季節は病院前の桜がよく見えるから、気分転換になるだろう。
十四時過ぎ、この時間帯は面会者が来始めて、一日の中で一番病棟が賑やかになる。大岡さんはご家族がいないから、面会者はほとんど来ない。ときどき元同僚が顔を見に来ているみたいだけれど、私はまだ会ったことがない。談話室を過ぎて、大岡さんの部屋へ行く。サンボとマンションに行ってから二日が経っていた。
「足の運動しましょうね」
私は声をかけながら、ベッドサイドへ近付く。「思い残し」の女の子がちょうど正面にいる。ぴったり閉じられていたカーテンを思い浮かべる。答えのない疑問が、頭の中にうずまく。
「思い残し」から目をそらし、大岡さんの掛け布団をゆっくりはぐ。ずっと寝たままだと、さまざまな体の機能が衰えていく。寝ているだけで、合併症が増えていくのだ。中でも、深部静脈血栓症は命に関わる恐ろしい合併症だ。エコノミークラス症候群という名前が一般的だろう。その予防のために、患者には弾性ストッキングと言われる着圧靴下を履いていただくことが多い。でも、大岡さんは糖尿病の症状により、これを履くとかえって末梢の循環が悪くなってしまう。だから、他動運動と呼ばれる、他人の手による運動が必要なのだ。
2024.05.11(土)