「グレイス港台って、病院の近くの?」
「そうそう。茶色いレンガっぽい壁のマンションあるじゃん。あそこ」
サンボはビールを飲み干して、店員を呼ぶボタンを押した。日勤だったサンボは、私が大岡さんのことを知りたいと連絡すると、仕事後に会う約束をしてくれたのだ。私は、サンボの好みに合いそうな居酒屋の個室を予約した。
「倒れていたのは、エントランス近くの歩道って書いてあったよ。通報したのは住人で、歩いてマンションに向かっているときに脚立に登っていたOさんを見ていたらしい。そんで、剪定の業者さん来てるんだ~って思いながら歩いていたら、Oさんがよろけて落ちたんだって。だから、慌てて駆け寄って、救急車を呼んだ、と」
「だから、脚立から転落したってはっきりわかったのか」
目撃者がいたわけだ。
「そうそう。で、Oさんはスマホを持ったまま落っこちたらしいよ」
「スマホを持ったまま?」
「うん」
サンボの注文したビールのおかわりが届く。患者の話をしている手前、店員がいる間はすっかり黙るから妙な客だと思われているかもしれない。
「けど、卯月はなんでそんなこと気にすんの」
私はウーロン茶のストローをぐるぐるまわす。氷がほとんど溶けて、薄まったウーロン茶をのぞきながら「なんとなく」とごまかす。サンボにも「思い残し」のことを話したことはない。
「あんまり一人の患者さんに強く肩入れしないほうがいいよ」
サンボが鶏肉のからあげをワシワシ噛みながら言う。
「うん、それはわかってる。ありがとう」
どこの科にいても、個人的に特定の患者に肩入れするのは良くない。冷静に看護ができなくなるし、公私混同してしまうこともあるし、医療に何も良いことがない。看護師はあくまでも医療者として患者と接していなければならないのだ。それでもやっぱり、割り切れないことも多い。それがわかっているから、サンボも忠告してくれたのだろう。
「そういえば、加藤は元気にしてる?」
2024.05.11(土)