この記事の連載
- 千早茜インタビュー【前篇】
- 千早茜インタビュー【後篇】
「目に見える傷を描くということは目に見えない心の傷につながっていく」
いじめと傷、自傷行為と傷、戦争で受けた古傷など、傷は人間の営みと不可分なのかもしれないと思えてくる。
「暴力や自傷行為によって出来た傷を持つ人の前で『傷が好き』とは、さすがに言えないので物語で描こうと思いました。第二次世界大戦のときに戦傷による症例が増え、創傷治療と形成外科手技が発展したそうです。今ある治療の技術が戦争という大きな暴力によるものもあるのかと思うと皮肉に感じます。私自身は、傷と傷跡は少し違うものと思っています。今回、カバー写真に石内都さんの写真を使わせてもらったんですね。石内さんは傷跡を美しいものとしてとらえていて、『Scars』や『INNOCENCE』といった人の体の傷を撮った写真集を出版しています。傷って、たとえば、ある傷が原因で亡くなってしまった場合、そのぱっくり開いた傷は永遠に治らないですよね。でも、傷跡になるということは、その体が生きようとした証なんですよ。それはやっぱり私にとっては命の強さ、美しさだなと感じるんですね。生きていたらネガティブな出来事は絶対にあるし、いじめや暴力の被害者、あるいは自分が思いがけず加害側になるときもあるわけです。そういう痛みを体は飲み込んで生きていくんだなと。心はそれが結構難しいんですけど、体だけでも飲み込んで生きてきたんだというひとの歴史として、本作が描けていたらいいなと思います」
「からたちの」では、傷跡ばかり描く画家が登場する。その画家が、生傷は描かないのかと言われて、こんなふうに答える。〈私が描きたいのは生き延びたあかしだから。死体の傷口というのはひらいたままだ。(略)だから、これらは生者の勲章だ〉。
「その画家の主張は、私の主張と被るところは大きいです。彼が祖母の言葉を一度引用したあとに、否定しますよね。〈祖母が言ったんだ。男の傷は勲章、でも女の傷はただの傷。私は違うと思った〉と。女性の傷は、昔で言う“きずもの”の傷ですよね。実際、女性の傷と男性の傷では周りの扱いが違ったりしませんか。『慈雨』でも、お父さんが娘が小さかったときに傷を負わせてしまった罪悪感を引きずっている。お母さんなら、娘の体を同じ女性として見られるけれど、お父さんは男性だから、無自覚に女性の体に対して違う意識が働く。どうしてもジェンダー的なものが絡んできてしまうんだなと」
10編には、見える傷も見えない傷も、両方描かれる。
「この連載を始めるに当たって、いろんな人に『傷はありますか?』と聞いてみたのですが、みんなあるんですよね。それが面白くて。ただ、気にしてない人が多かったです。ずっとあるから、いつの間にか慣れていく。見える形の傷って、そういう風に慣れていけるんだなって思って。一方で、目に見える傷を描くということは、結局、目に見えない心の傷につながっていくのだなと、書き進めるうちに理解していきました。見えない傷は、ふとしたときに蘇って痛みはいつまでも鮮烈だし、『本当は、あのとき、私、傷ついていたんだな』と、うんとあとになってから初めて気づくこともありますしね」
千早茜(ちはや・あかね)
2008年『魚神』で第21回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2013年『あとかた』で第20回島清恋愛文学賞を、2021年『透明な夜の香り』で第6回渡辺淳一文学賞を、2023年『しろがねの葉』で第168回直木賞を受賞。食にまつわるエッセイも人気。
X:@chihacenti
グリフィスの傷
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2024.05.10(金)
文=三浦天紗子
撮影=平松市聖