「浜木綿さま」
やっとのことで出した声は、みっともなく震えていた。
「申し訳ないのですが、ちょっと、気分が悪くて……」
先に戻ってもよろしいですか、とけば、いいぞ、と頓着無く頷かれた。
「酒気にでもあたったか?」
「いえ、横になっていれば、すぐ治りますので」
大丈夫ですか、とうこぎに言われて、力なく頷いたあせびだった。春殿に戻ると、あせびはそのまま塗籠にひきこもり、誰にも顔を見られないようにしてしまった。
「若宮さまだった……」
小さく呟けば、カッと顔に火がついたかのようだった。
若宮さまだった。あの時の男の子は、若宮さまだったのだ。
「嘘みたい」
でも、間違いないという確信があった。しっかり顔を確認するには遠すぎたが、それだけは絶対に確かだと思った。
体の奥にともってしまった熱を持て余していると、塗籠の外から控え目な声がかかった。
「あせびさま。お身体の調子が悪いのですか?」
その声の主に思い当ったあせびは、呆気にとられた。
「早桃? どうしてここにいるの?」
「浜木綿さまが、様子を見て来るようにと仰られましたので。うこぎさまは、薬湯の手配に出ていらっしゃるそうです」
平気ですか、と尋ねる声は、本当に心配そうで、なんとなく泣きたくなった。うこぎも心配はしてくれるのだが、あせび本人の気持ちよりも、体の不調に気を張るきらいがあって、なんとなく休まらないのだった。
塗籠から出て早桃に相対すると、早桃はびっくりしたようだった。
「何かあったのですか?」
目が真っ赤です、と指摘されて、慌てて目元を拭った。
「なんでもないわ。それより、早桃と少しおしゃべりがしたいの。いいかしら」
もちろんです、と言いつつも、早桃はあせびの申し出に面食らったような顔をしていた。
「早桃は宗家の女房なのよね?」
「本来はそうなのですが、今は夏殿の女房ということになっています。元は、藤波さまの女房ですけれど、登殿に合わせて、夏殿に配属されたのです」
2024.04.10(水)