「あれが……」
「若宮殿下だ。我らが親愛なる日嗣の御子だよ」
あんたのお眼鏡にかなったかい、とからかわれたが、あせびはそれに答えることが出来なかった。ここからだと、角度からして若宮の顔は良く見えない。だが、なぜだかあせびはその姿に、強烈な既視感を覚えたのだった。
なぜだろう、同じ光景を、いつか見た気がする。
自分は今まで、ろくろく外に出たことすら無かったのに。幼い頃、こっそり領境に花見へ出かけた、たったひとつの例外を除いて。
「あ」
思わず、声が漏れた。それが聞こえたわけでもないだろうに、下にいた若宮が、ふと足を止めてこちらを見上げて来た。
近い距離ではなかった。向こうから見えたのも、無機質な御簾に映る、影だけだったはずである。それなのに、何をそこに見出したのか、若宮が小さく笑ったように思えた。
その瞬間、二人を遮る邪魔な御簾も他の者も、どこか遠くに行ってしまったかのような錯覚に陥った。
辺りは一面、桜吹雪だった。
桜の花はほんのりと色づいていて、見下ろし、見上げる二人の間に渦をまいていた。
見慣れない、紫の衣が印象的で――でもそれ以上に、こちらに向けられた凜とした眼差しに、目が離せなくなってしまった。
驚いて、感動して、泣きたくなるような衝撃に手が震えた。
あの時、私はまだ十にも満たなかったというのに。
「――何だったんだ? 何か、気になるものでもあったのかね」
その声に我に返った時、そこには桜吹雪も、こちらを見上げる者も存在してはいなかった。桜もつぼみのままであり、満開とは程遠い。女房達の興奮気味の声の中、不機嫌そうに下を見る浜木綿に、ここがどこで、自分が何をしているのかもはっきりと思い出した。
「あの、すみません、今、何かおっしゃいましたか?」
「若宮が、急に足を止めてこっちを見ただろう。供の者が困っていたのに、あいかわらず傍若無人な奴だな」
浜木綿の冷やかさとは逆に、あせびの心臓は早鐘を打ち、顔も火照って仕方なかった。すでに若宮の一行は背を向けていたが、後ろ姿だけでも、胸が痛くなるには十分だった。
2024.04.10(水)