「ふ、藤波さま!」

 びっくりして大きな声を上げれば、静かに、と声をひそめた返答がある。そして藤波はおどおどするあせびの手を掴み、強引に中へと引き込んだのだった。

「大丈夫ですわ、見つからなければいいのです」

 ここは、宗家が宴などで使うお道具を収めておくお部屋です、と藤波は悪戯っぽく笑う。

「滅多な者は入れませんから、誰も来たりしないでしょう」

 裏を返せば、やはりあせびにとっては立ち入りの禁止されている場所ということだ。

「で、でも……」

 今にも誰かに咎められるのではないかと逡巡していたあせびは、次の藤波の言葉に、ぴたりと口を閉ざしたのだった。

「実は、見て頂きたい物というのは、長琴なのです」

 ――長琴は、東家のみに伝わる、演奏法が秘伝とされる楽器である。

 なんでも、以前ここでそれを見てから、ずっと気になっていたのだという。あせびに見せたくてしょうがなくとも、ここにある物は金烏の許しがない限り、持ち出すことは厳禁だ。苦肉の策として鍵をこっそり借り、あせび本人をここへと連れて来たというわけだ。

 部屋は薄暗く、ところどころ、格子の嵌められた小窓からぼんやりとした光が射し込んでいた。想像以上に広い部屋らしく、高い天井いっぱいにがっちりとした棚が設けられていた。とてつもなく広い納戸に放り込まれたような雰囲気に吞まれて、あせびは黙って藤波について歩いた。藤波は期待に目を輝かせ、始終嬉しそうにしていた。

「宗家が、長琴を持っているなんて驚きだったのです。きっと、何か由来があるのでしょうけれど、どういったものなのか、おねえさまならきっとお分かりになりますわ」

 そして叶うならば、いつかそれを弾いてもらいたいのだという。

「私なんかより、ずっと優れた楽人がいっぱいいるでしょうに……」

 書籍に親しむことなく育ったあせびであったが、その不足を埋めるように、多くの楽器を与えられてきた。中でも長琴は、亡き母が得意としていたものだった。その面影は薄れても、子守歌の代わりに奏でられた母の音は、体の奥に残っていたらしい。成長するにつれ、あせびがことさら長琴を好むようになったのは、実に自然なことだった。それゆえというわけではないが、やはり今まで見たことのない長琴があるとなれば、少しばかり興味が湧いた。

2024.04.10(水)