慌てて否定をしつつも、あせびの心中には、もやもやとしたものがわだかまっていた。白珠の本気が、まだ空気の中に漂っている気がする。ぴりりとした緊張感が、なんとも言えない不安の影を残していた。

「それで、藤波さま。あせびさまに、何か用があったのでは?」

 うこぎの言葉に、藤波はそうなの、と、嬉しそうな顔になった。

「ちょっと、おねえさまに見て頂きたいものがあって」

「では、秋殿の方には、私から断りを入れておきましょう」

 もうよろしいですね、とうこぎに確認され、あせびは一も二もなく頷いた。あの中に戻らなくても良いことに、うこぎも内心、ほっとしているに違いなかった。

 うこぎが秋殿の中に戻っている間に、藤波はあせびを藤花殿の中へと案内した。

「藤波さま。そう言えば、お付きの者はどうしたのですか?」

 いつも傍にいる、滝本の姿が見えない。小さく舌を出して、くすくすと藤波は笑った。

「滝本には内緒なのです。おねえさまにお見せしたい物が、面倒な所にありますので」

 こちらです、と歩き出した藤波を追って、あせびは行く先が分からないまま歩いた。藤波は藤花殿の奥へと、迷い無い足取りで入って行ってしまう。

「待ってください!」

 一体、藤波はどこへ行こうとしているのだろうか。藤花殿のさらに奥は、宗家の方々の居住区――さらに言えば、後宮へと続いていることを知っている。入り組んだ廊下をどんどん進み、流石にこれ以上は、と思ったところで、ぴたりと藤波は足を止めたのだった。

 そこは、岩壁に、大きな門扉の据えつけられた場所であった。

 やっとあせびを振り向いた藤波は、静かに、と唇に指を一本立て、胸元から、古めかしい鍵を一つ取りだした。軽やかにそれを振って門扉に向き直った藤波の手元から、がちゃがちゃと金属の触れあう音がする。やがて、がしゃん、と大きな音が上がった。

「開きました!」

 彼女の手元を見れば、確かに彼女の掌よりも大きい、重々しい錠前が外れた状態で閂にぶら下がっていた。だが、錠前が付いている扉があるという時点で、もうこの辺りは入ってはいけない所だということではないだろうか。なんとか藤波の気持ちを害さずに帰れないだろうかと言い方を考えているうちに、藤波は閂の外れた扉の中に、するりと入ってしまった。

2024.04.10(水)