他と言っても、残っているのは皇后陛下だけだがね、と笑われて、藤波は怒りのあまり真っ赤になった。しかし結局何も言い返せずに、藤花殿へと帰って行った。

「藤波さま!」

「ほっときな、あせびの君。おこちゃまの短気だ。あれで内親王とは、笑わせる」

 どうにも気まずくて、あせびは非難の意味をこめて浜木綿を見た。それをどう解釈したのか、浜木綿は悠然と欄干にもたれかかった。

「大紫の御前にとっては、今の日嗣の御子は政敵だからね。あれはあんたに、『馬程度の下賤の者なら、お前の色気に酔いしれることだろう。せいぜい上手くおやり』って、皮肉まじりに激励したのさ」

「馬程度の下賤の者?」

「若宮殿下のことだ」

 意味の分からぬ様子のあせびに耐えかねたのか、うこぎが低い声を上げた。

「姫さま。身分が低く、忙しく働いて日銭を稼ぐ者達のことを、『馬』と侮辱して呼び表す場合が稀にあるのです。あまり良い言葉ではございませんので、高貴な者は進んで使いたがりませんが……」

「何か含みのある言い方だねえ。別に構わないけどさ」

 にやにやと笑いを浮かべ、浜木綿はあせびへと向き直った。

「しかし、そんなことも知らないとは、どうやら本格的な箱入りのようだな」

「私、東の家の別邸から、出たことがないんです」

 目を丸くして、浜木綿は欄干から身を起こした。

「体が弱かったので……男の方と、話したこともほとんどありません。今回の登殿も、急に決まったことでしたし」

「馬鹿な。それこそ冗談だろう」

「本当のことでございます」

 浜木綿の態度が気に入らないのか、うこぎはよそよそしく言い放った。

「幼少の頃より、なるたけ外気に触れないよう、お育て申し上げましたので。外出も、本邸か、すぐ近くの花見ぐらいが関の山でございました」

 今度こそ完全に呆れ返り、浜木綿は額に手を当てた。

「よりによって、教育も何もしていない娘を登殿だと? 無茶にも程があるわ。お前の父御は何を考えているのか、さっぱり分からん」

2024.04.10(水)