はやく帰っておいでとのたまった父を思い浮かべ、あせびは真顔になった。
「多分、何も考えていないのだと思います」
かなり本気で言ったのだが、浜木綿は取り合おうとしなかった。
「東の家は腹黒と聞くからな。何か、深い考えあってのことなのだろう。もしかしたら、本命は別にとっておくつもりなのかもしれないな」
本命、と聞き返したあせびに、浜木綿は訳知り顔になった。
「宗家の長男だよ。これも知らないのだろう? 今の日嗣の御子は次男で、しかも、正室の子じゃない。大紫の御前には実子がいたのに、無理やり譲位させられちまったんだ」
「正室の生んだ長男だったのに?」
「そう。古いしきたりだとさ。なんでも、本物の金烏だったんだとよ、今の若宮さまは」
本物の。
その言い方が妙に引っ掛かり、あせびは口をつぐんだ。そんなあせびの様子にも気付かないで、浜木綿は語り続ける。
「大紫の御前は、南家の出身だ。南家に権力が集中するのを妬んだ奴らが、強引に日嗣の御子の座から引きずり下ろしたのさ。今でこそ落ち着いているがねえ、水面下で前日嗣の御子を信奉する者は多い。何せ、当の若宮と言えば、とんだうつけの青瓢箪らしいからね」
「だったら、さっさと出てお行きになればいいのですわ。あなたを引き止める者など、ここには誰もいなくてよ」
唐突に響いた甲高い声に、あせびはぎょっと顔を上げた。
「ええと、真赭の、薄さま?」
「ごきげんよう、あせびの君。性悪に捕まって、ご愁傷さまですこと」
口先だけで笑い、真赭の薄は浜木綿をねめつけた。
「よくもまあ、自分の夫となるかもしれない方を、そこまで悪しざまに言えるものですこと。そんなにお嫌いなのなら、最初から登殿なんかしなければ良いのでなくて」
馬鹿め、と浜木綿も、これまた不敵に笑って見せた。
「嫌いだなどとは一言も言っておらんだろうが。うつけだろうがなんだろうが、アタシはあの男を愛しているよ」
「日嗣の御子という、そのお立場に恋していらっしゃるのでは?」
2024.04.10(水)