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10代の頃は浜崎あゆみに夢中だった
――『SHUT UP』に限らず、本間さんの作品はジェンダーやセクシュアリティへの意識、ひいてはフェミニズムが明確に根底にあると感じます。なぜそういったことに興味を持つようになったのでしょう。
さっき少し触れたように自分の育った家が不安定だったりいびつな側面があったりしたので、家で過ごしていて「自分の尊厳や安全は自分ではどうにもできないものなんだ」「自分の尊厳なんて元からなかったんじゃないか」みたいな感覚になる時期や時間があったんですね。だから尊厳や生きる上での安全性といったものが阻害されることに敏感なのかなと思います。フェミニズムもジェンダーもセクシャリティも、尊厳や平等な権利の獲得がテーマだと思うので、そこに共鳴する感覚があるのかなと。
――10代などの若い頃、誰かの言葉などからそうした感覚に触れた経験があったのでしょうか。
10代の頃、浜崎あゆみさんに夢中でした。あゆは本当にすごい。J-POPって「好きだ」とか「別れちゃった」とか「寂しい」とかそういうものが多くて、自分の言葉の拠り所になるような歌がないなと感じていたんですけど、14歳くらいで「A Song for ××」や「my name's WOMEN」を聴いたときに「自分の居場所があったんだ!」って思ったんです。あゆと出会って……完全にファンの言い方になってますが(笑)、あゆと出会ってあゆの歌を聴いて奮い立つものがあったし、その歌の精神性が自分の中にもちょっとインストールされた感じはありますね。
――浜崎さんは恋愛の歌も多いですけど、同時に「それでもどうにかこうにか自分の足で立つんだ」ということをすごく歌っていますよね。
そうなんですよ、本当にそうで!(身を乗り出す)
――テレビ業界も、今変わりつつありますが男性優位の世界だと思います。働く中で「これは違うんじゃないか」「しんどいな」という感じることはありましたか?
だいぶ減ったと思います。自分が25〜26歳くらいの頃が過渡期だった気がしますね。それまではハラスメントに対する意識も働き方に関する意識もみんな低かったと思うんですが、そのくらいの時期から高まっていった実感があります。だからAD時代は本当にしんどいことがいっぱいありましたが、それ以降はそこまででもないですね。それは先人の皆さんのおかげだと思います。
――AD時代のしんどかった話を聞いていいですか。
セクハラとパワハラがきつかったです。テレビ東京とは全然関係ない話なんですが、演出の方が出社すると必ず誰か女の子に声をかけてコーヒーとタバコをお願いするチームがあったんですね。同じ女の子が1〜2カ月声をかけられ続けることもあるんですけど、それが何を意味しているかというと、その演出の人のお気に入りになったということなんです。その人はものすごくパワハラ体質だったので、そうなるとみんなその子に怒れなくなる。あるいは、遠方ロケに行くとき、演出の人はひとりだけホテルでほかのスタッフは安宿なんですけど、お気に入りの女の子になると一緒に良いホテルに泊まれるんですよ。部屋はもちろん別ですが。
――そんなあからさまな……。
そういうのを1年目くらいで経験して「すごい嫌だ……」と思いました。
――どうやって仕事のモチベーションを維持していたんですか。
私もそのとき感覚が麻痺していて、「そういうものだ」みたいなマインドになっていたんですよね。「これに耐えないと次には進めない」と思考停止していたかもしれないです。結局しんどくなってその番組は辞めたんですけど。
――わかる気がします。自分の若い頃を振り返ると、そういう場面でもうまく立ち振る舞うのが賢さだと思っていたところがありました。
そうですよね。ちょっと弱音を吐くと「うまくやり過ごせないの? それができなきゃこの業界で働いていけないよ」「もっと頭良くなりな」とか言われてしまって「そうか、やり過ごすのが正義なのか」というふうに思ってしまいますよね。
――『SHUT UP』ではみんなちゃんと怒りや悔しさを口にするし、経済状況や立場は違ってもつながっていける可能性を描いているのが美しいですね。
うれしいです。
2024.03.27(水)
文=斎藤 岬
撮影=平松市聖