広場にいる人、全員対象です!
「楽しいなあ」と笑っていた私はこの時まだ何も知らなかった。その場にいれば誰でも炭を塗られることを。ふと、横から地元のおじさんが「おめでとう!」と近づいてきたので振り向くといきなり顔にベーッ! と炭を塗られてしまった。やられた!
「すみ塗りって、新婚夫妻と地元の人だけじゃないの!?」と慌てて周りを見渡せば、テレビ局のカメラマンも観光客っぽい人たちも、すでに真っ黒。先ほど、佐藤さんをヘッドロックしていた友人も、すでに仕返しされたのか黒い顔で走り回っている。
無傷でいる人はもはや見当たらない。はしっこでこの阿鼻叫喚の神事を見守る警察官お三方ですら黒すぎて誰が誰だか分からない。それでも次から次へと地域の人たちが「はい、おめでと!」と警察官に上塗りしていく。警察官もおとなしく顔を差し出している。
誰が誰に塗ってもいい日なのだ。人生で警察官の顔に泥……いや炭を塗りつける機会もなかなかないので、私も取材を忘れて塗ってみたい。しかし勇気がなくて「目線おねがいしまーす!」とシャッターを切っただけで帰ってきたことを今、後悔している。
雪深い温泉地で大人も子供も腹の底から叫び、じゃれ合い、大笑い。入道のような地元のおじさんは、顔どころか頭の後ろまで真っ黒でまるで仮面ライダーに出てくるショッカーのようだ。
「何か一言!」とコメントを求めたら、満面の笑みで「最高~!! 最高だね!!」と叫んだ。最初に「むこ」を投げ落とし、「炭」を塗ってふざけ合ったこの地の人はまさか何百年後までそれが続いているとは思いもしなかっただろう。大人までこんなナイスな顔にさせる松之山温泉の祭りは、これからも続いていくんだろうなあ。
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■旅メモ
「むこ投げ・すみ塗り」 毎年1月15日の午後に新潟県十日町市の松之山温泉郷で開催。見学は可。
白石あづさ
ライター&フォトグラファー。3年にわたる世界放浪後、旅行誌や週刊誌を中心に執筆。著書にノンフィクション「お天道様は見てる 尾畠春夫のことば」「佐々井秀嶺、インドに笑う」(共に文藝春秋)、世界一周旅行エッセイ「世界のへんな肉」(新潮文庫)など。「おとなの週末」(講談社BC)本誌にて「白石あづさの奇天烈ミュージアム」、WEB版にて「世界のへんな夜」を連載中。X(旧Twitter) @Azusa_Shiraishi
Column
白石あづさのパラレル紀行
「どうして世間にはこんな不思議なものがあるのだろう?」日本全国、南極から北朝鮮まで世界100か国をぐるぐると回って、珍しいものを見てきたライターの白石あづささんが、旅先で出会ったニッチなスポットや妙な体験談をご紹介。
2024.03.30(土)
文・撮影=白石あづさ