二話目「暫の闇」は、どうしたら歌川国政の「五代目市川團十郎の暫」からこういう物語が生まれるのか、作家の頭の中をのぞいてみたいと思う秀作である。これを描いた国政こと甚助が語り手となって、ある男のおかしくも哀れな行状を語る体裁。「半道」と呼ばれるこの男、金も力も知恵もなく、ただただ蝦蔵(五代目團十郎)贔屓という半端者だ。愛すべき半端者ゆえに気がかりで、甚助はついいらぬ口出しもする。世渡りもままならない一途な男の末路が哀れでならない。そして半道につき合い続けた甚助も己の画業を見つめ、ある決断をする。二人の取り合わせが絶妙で、泣き笑いしながら心にしみいる物語だ。
三話から六話までは、幾度も絵を見返しながら読んだ。一話一話すべてに言及するのは野暮だと承知のうえで、何しろ面白くて語らずにはいられない。
三話目の「夜雨」は、まさに歌川国貞の「集女八景 粛湘夜雨」の光景が幕開けの場面となる。女房の女心と、相次ぐ辻斬りの真相が長雨を背景に不穏に絡まり合う。捕物帳の本筋に隠れた舞台裏と言えようか。世間のしがらみや、食あたりを心配する些末な日常に汲々とする生活を尻目に、女房の妄想が炸裂する。それは、ある男の人心掌握術にのせられていたせいだと後にわかる。この辺のやり取りをすんなり描く手つきはさすが。夜雨の中、一気に事件は進展し、女房に絶体絶命の危機が迫る。その時胸に去来したのは、厄介だと思っていた亭主のありがたさ。雨降って地固まるを具現化したような物語であった。
四話目「縁先物語」では、鈴木春信の三枚の浮世絵を使う。何となく少女趣味な絵柄が導き出したのは、紅顔の若侍の夢のようなアバンチュールだ。今や隠居の身となった武士が、若かりし頃に起きた火事の隠された事実を知り、記憶の底に沈めた地に赴く。かつてこの地で療養していた頃、二人の女に出会った。大店の娘と、﨟たけたその乳母だ。芳しい息、甘い囁き、紅いくちびるに溺れていくが、その先に待っていたものは――。四十年の時を経て知る事件の真相。しかも終幕でさらなる衝撃に襲われる。ここにきて、この短編の始めの一行にある癖が効いてくるように思うのだが、いかがだろうか。ミステリアスに展開し、底冷えのする余韻を残す。
2023.11.29(水)
文=内藤 麻里子(文芸ジャーナリスト)