葛飾北斎が「百物語 さらやしき」を描き上げるまでの、ホラーな顛末をつづるのが五話目の「さらやしき」だ。『富嶽三十六景』が出足好調の中、次作の画題に「百物語」を選んだ北斎は、「皿屋敷」を描くために舞台とされる番町の近くに越してきた。ここで七つ八つの童女に懐かれるが、何かが変だ。なるべく幽霊と思いたくない北斎の微妙な心境がおかしく、そういえば「きりきり舞い」シリーズには北斎が登場していたなと思い出す。勝手知ったるという感じで、悠々と描いている。北斎が浮世絵に取り組む姿勢にも目配りし、漏れはないのである。

 第六話の「深く忍恋」は、喜多川歌麿の浮世絵そのままに、描かれている女を主人公に据えた。洲崎の船宿の女将、おりきだ。心を落ち着けるために長煙管が手放せなくなったとは、なんてうまい設定なんだろう。生涯たった一度の恋だったのに、事情があって一緒になれず波乱の人生をたどった。時間を経て、元恋人に対する復讐の企てを知り、危険を知らせに走る。そしておりきは悲しい決断を下す。しかしそれができる強さがあったからこそ、辛い人生を生き抜いてこられたのだ。女一人生きることの矜持と、ある種のあきらめが先へとつながる糧ともなる。そんなことをきっちり提示してくれた。

 そして最終話「梅川忠兵衛」は人形浄瑠璃「冥途の飛脚」で大評判になった男女の道行に憧れた端女郎の、落語のような滑稽譚だ。この端女郎、瘦せの大食い、アホでものぐさ。聞きかじった梅川のように心中して生き残れば評判になって売れっ子間違いなしと思いつき、太物商の倅に白羽の矢を立て道行決行と相成った。が、なぜか思惑はことごとくはずれ、あれよあれよという間に思いもしない境遇に到る。思い出すのは道行に引きずり込んだ男の面影。収録作中、一番ばかばかしく、笑えて、幸せな一編が最後を飾った。

 いろいろな趣向が見られるのが短編集を読む楽しみの一つだが、本書は趣向と言い、構成、描写と言い、そして何より登場人物たちの抱える思いや人間像が深い味わいを残す。

 諸田玲子はここにきて、一層存在感を増してきたように思う。

しのぶ恋 浮世七景(文春文庫 も 18-20)

定価 869円(税込)
文藝春秋
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2023.11.29(水)
文=内藤 麻里子(文芸ジャーナリスト)