この記事の連載

全肯定で生きていく

 「エッセイストとしての生き方」において、日々僕の心を落ち着かせてくれるのが「全肯定」の姿勢です。

 自分に起きているすべてをそのまま認めること。意味や価値があると考えること。

 この全肯定の生き方ができるようになると、自分にまとわりついていた生きづらさがほどけていきます。自分の中にネガティブな感情が生まれにくくなり、生まれてしまったネガティブな感情もすっと溶かせるようになるのです。

 これまで僕は、さまざまな国や時代のエッセイを読んできました。テーマも筆致もさまざまですが、おもしろいことに、ほとんどのエッセイは最終的に「感謝」に行き着きます。

 もちろん直接的に「ありがたいと思った」と書かれていることはほとんどありません。でも、どんなに悲しいことやつらいことが描かれていても、結局は生の肯定、「ありがたい」が立ちあらわれてくるのです。

 僕もそうです。暮らしの中で感情が動き、それをていねいに読み解いていくと、かならず感謝に行き着きます。「うれしい」「たのしい」といったポジティブな感情はもちろんのこと、「悲しい」「悔しい」などのネガティブな感情でも同じです。

 こんなことを言うと悟りを開いているように思われるかもしれません。でも、違います。「そう思おう」と努力しているわけでもありません。

 「すべてのできごとには学びがある。だから、その学びに感謝する」ということなのです。

 「なぜ、あの人のあの言葉にあんなにイライラしてしまったんだろう」というとき。

 暴飲暴食して憂さ晴らしをしたくなるかもしれませんが、それは「考えるのをあきらめる」ということです。

 ぐっとこらえて一度立ち止まってみる。相手ではなく自分に、静かに目を向ける。

 すると、さまざまな発見があります。自分が許せないものをあらためて確認したり、子どものころの似た経験を思い出したり、あまりイライラしない人と自分との違いについて考えたり。だんだんと、自分への理解が深まっていきます。

2023.11.02(木)
文=松浦弥太郎