年譜だけ見れば波乱万丈から遠く、穏やかで豊かな人生。ご本人が不機嫌そうにしたり、疲れていますとアピールしたりする場面は一度も見ず、優しく大らかさを感じさせる人であったが、それは生来のものというより自制心の強さの発露だったのではないだろうか。

 そういう人が小説を書いたら、自分が体験したくないこと、ひたすら避けたいことを凝縮し、残酷で恐ろしい作品ができ上がることもあり得る。人は現実で忌避したことを虚構で体験して楽しむ生き物だし、そういう作品は作者に解放感を与えてくれると思うのだが――。

 光原さんはもう一周回って(回ったのだと思う)、調和や解決に至る物語をたくさん書いた。優しく心温まる物語と言って終わらない屈折をしばしば持ちながらも、救いを用意した作品が多い。それらは世界をゲーム盤や修行の場と捉えている人に向けて書かれているのではなく、「生きる甲斐」に手を伸ばそうとする人を勇気づけるだろう。思うようにならないことだらけの世界だけれど、その理不尽や不自由さも「生きる甲斐」に転じることがあるのだ、と。

 ただ、読者を慰撫(いぶ)しつつも作者は自分を甘やかすのを潔しとしなかった。ミステリという形式を選んだから、調和と解決に至るために面倒な謎を解かなくてはならない。本書の収録作品を読み返しながら、随所で「苦労して難所を乗り越えているなぁ」と感心した。ミステリを愛したせいで抱えた苦労と「書く甲斐」と言うべきか。

 ハートウォーミングを売り物にシンプルな小説を書いていたら、もっともっと本が売れたかもしれないが、光原さんにそんな欲があったはずもない。「生きる甲斐」を遠ざけてしまいかねないから。自由でなくなるから。

 光原さんはこの世界から旅立ってしまったが、作品は残っている。いつまでも読み継がれますように――と願う。

 この大切な本の末尾に寄稿するにあたり、私の想い出話を並べてはいけない、と抑えてきたのだけれど、最後に一つだけお許しを。

2023.07.31(月)