読みながら、亡き作者の顔が浮かび、想い出が次々に湧いてきたが、私は年譜で光原さんの人生をあらためて鳥瞰(ちょうかん)し、心を揺さぶられた。前記のとおりの間柄なので、ここまでくわしくは知らずにお付き合いをしていた。

 人間だから、数知れない苦しみや悲しみ、迷いや痛みを光原さんも経験なさったに違いないのだが、それは光原さんご自身しか知りようのないこと。

 年譜が物語っているのは、詩やおはなし(夢いっぱいのメルヘンはもちろん、頓智が利いた謎解きもお好きだったのだろう)が大好きな女の子がお気に入りの雑誌を見つけ、少女期には友人らと囲碁や吹奏楽を楽しみ、大学では知的関心から英文学の研究に進みながらミステリへの愛着を深め、かねて愛読した雑誌に作品を発表し、ミステリ作家として世に出て、英文学の研究者となって郷里に戻り、演劇に興味を広げ、(年譜には書かれていないが)好きな音楽や怪談に関する創作も行ない、教え子や地元の人たちと喜びを共にした――という軌跡。

 他人様の人生にコメントをするのは烏滸(おこ)がましいが、それを承知で「生きた甲斐」に満ちた一生でしたね、と言いたい。もちろん、自由気ままに生きたら自然にそうなるはずもない。多大の努力と知恵があって築けた人生で、よき環境で育ち、よき人たちとの出会いといった幸運もあったのだろう。何にせよ、こんな人生なら「生きた甲斐」がある。

 人生をゲームに喩え、勝利や成功に執着する人がいる。人生を修行や修練の場とみなして、忍耐や厳しさを必須と信じる人がいる。それで納得できるのなら他人に迷惑をかけない範囲でご勝手に、と私は思う。

 人は誰しも望んで生まれてきたのではない。不愉快に感じる方がいるとしても、事実だ。問答無用でいきなり参加させられて、ゲームも修行もあったものではない。

 しかし、気がついたら生まれていたのだから、生きなくてはならない。生きる意味を探しながら生きても答えが見つからずに悩む人もいるが、私たちは理屈を通すためだけに生まれてきたのでもないだろう。「生きる甲斐」を手に入れ、「生きた甲斐」を抱いてこの世を去ればよいのではないか。

2023.07.31(月)