ニッコリするのは安いブランド。高いブランドは人を見下すように

 彼の辛辣な批評精神は映画の端々で発揮される。たとえば冒頭、カールはテレビの司会者から、「ニッコリするのは安いブランド。高いブランドは人を見下すように無愛想にしなければダメだ」と言われ、操り人形よろしくニッコリと無愛想を交互に演じさせられる。

 またカールとヤヤが高級レストランで食事をする場面では、ボーイが勘定書を当然のようにカールに差し出す一方、ヤヤは携帯画面に釘付けで気づく風もない。気分を害したカールがそれを指摘すると、ヤヤは逆ギレする。

 こういうカップル、いるいると、膝を打ちたくなると同時に、自分自身もあの立場だったら、やはり勘定書を見て見ぬ振りをしたかもしれないと、胸に手を当てたくなるような絶妙な設定だ。オストルンドはこう明かす。

「ふだん僕自身がジレンマのなかに立たされることが多いから、映画でもそれを表現したかった。ああいう状況は、おそらく多くのカップルが経験していることじゃないかと思う(笑)。男女平等を論じる一方で、女性は男性にある種の期待を持つ。僕自身、金を象徴するような存在として期待されたら、すごく失望するだろう。まあ家族を持つ身として、それを期待されることは理解できるよ。一般的に、女性より男性のほうが稼いでいる場合がまだまだ多いだろうし。

 でもそういう社会の物差しが、突然個人に向けられると、僕は素直に受け止めるわけにはいかない。もちろん、男より女のほうが楽だなどと言いたいわけじゃないが、個人レベルで議論するのは大切なことだと思う」

 カンヌでは、喝采が起きる一方で、ビリオネールたちの嘔吐の嵐や受難の連続に、「やりすぎ」「悪ふざけ」「金持ちに対する敵意」などという批判の声も上がった。だが、彼は反論する。

「たしかに子供っぽいユーモアとは言えるかもしれないが、やるからには期待される以上の極端なものにするべきだと思った。船酔いのシーンでは、僕の興味は人々の葛藤にあった。素晴らしいディナーと船酔いというシチュエーションのなかで、社会的に求められるマナーを全うしようとする意志と、しかし身体がついていかないという事態のジレンマ。だから人々は吐きながらも、まだ食べ続けるべきかなどと迷う」

2023.02.23(木)
文=佐藤久理子