この記事の連載
- ウォーマック夕美子さんインタビュー #1
- ウォーマック夕美子さんインタビュー #2
- ウォーマック夕美子さんインタビュー #3
世田谷区奥沢にある小さなチョコレートショップ「世田谷トリュフ」。ショコラティエのウォーマック夕美子さん(65)が2019年夏に開いた、知る人ぞ知る和風トリュフの名店だ。
実はウォーマックさん、1980年代に宮下智の名前で田原俊彦の「ハッとして! Good」や、少年隊の「まいったネ 今夜」など、ジャニーズ・アイドルのヒット曲を数々生み出した作詞作曲家でもある。サンフランシスコ音楽院を首席で卒業し、昭和の華やかな芸能界で活躍した彼女は、1991年に結婚を機に渡米。そこからなぜ職人の道を選んだのか。波瀾万丈の半生を語っていただいた。(全3回の1回目。2回目、3回目を読む)
――はじめに、世田谷トリュフをオープンしたきっかけを教えてください。
本当に山あり、谷ありの人生を私は歩んできました(笑)。2017年10月までは、カリフォルニア・ワインの名産地ナパ・バレーに近いサンタローザという街に数年間住んでいました。あのスヌーピーの故郷として知られる街です。
それ以前からチョコレートを作ってファーマーズ・マーケットなどで販売していたんですが、ナパのワイナリーと組み、ワイン・トリュフを作る事業を始めようとした直前、カリフォルニアで大規模な山火事が起きてしまい、家が全焼してしまったのです。本当に身ひとつになってしまい、事業は中断。でも、クヨクヨしても仕方がないので、25年のアメリカ生活を切り上げ、まずは日本に帰ることにしました。
――ご無事で何よりでした。ウォーマックさんは世田谷生まれで、子供の頃からピアノを学ばれ、アメリカにも留学しました。そこから歌謡曲のソングライターになった経緯を教えてください。
私の家は母親がピアノの先生をしていて、私をクラシックのピアニストにしたかったんです。留学のきっかけは14歳の時。アメリカのピアニストが来日して公開レッスンをしたのですが、そこでピアノを弾いたら、先生が「ぜひ私のところに来て、アメリカで勉強しなさい」って言ってくださって。親も「これは良いチャンスだ。行ってらっしゃい」となりました。一人っ子だったのに、出す方も出す方です(笑)。
そして高校1年の夏にアメリカの東海岸へ渡り、高校の寄宿舎から、先生のところへ習いに行きました。でも、その先生とソリが合わなくて。それで大学は進学予定だったニューヨークのジュリアード・スクールではなく、西海岸にあるサンフランシスコ音楽院を選びました。
――才能を見出してくれた先生だけど、ソリが合わなかったのですか?
合いませんでした(笑)。でもサンフランシスコ音楽院は面白い学校で。ジョン・アダムズという有名な作曲家が、当時作曲科の教員のトップだったんです。今や大家ですが、まだ若かった彼がすごく面白い作曲のワークショップをしていて、それに参加しているうちに、ピアノよりも作曲の方が面白くなってしまいました。演奏家は厳しい世界ですし、自分でも「向いていないな」と思っていました。作曲家を目指すと言っても、私が学んでいたのは現代音楽です。親としてはピアニストにするために留学までさせた娘が、言うことを聞かなくなっちゃった、って思いますよね。
2022.10.16(日)
文=石津文子
撮影=深野未季