この記事の連載

 世田谷にあるチョコレートショップ「世田谷トリュフ」のショコラティエ、ウォーマック夕美子さん(65)。ウォーマックさんは、宮下智の名前で田原俊彦や少年隊らに楽曲を提供し、数々のヒットを生み出した作詞作曲家でもある。結婚を機に渡米し、専業主婦として暮らしていたウォーマックさんは、チョコレートの修行のためフランスへ留学。しかし、事業を広げようとした矢先、山火事で全てを失ってしまう。帰国後に奥沢にお店を開いた理由や、King & Princeへの楽曲提供など、近況を聞いた。(全3回の3回目。1回目2回目を読む)


――アメリカで結婚、出産されたウォーマックさんが、お菓子作りに目覚めたきっかけは何でしょうか。

 ずっと専業主婦で子育てをしていたのですが、食いしん坊なので、料理、特にデザート作りに凝りました。焼き菓子は下手だったのですが、昔から好きだったショコラを作ることにしたのです。クリスマスや友達の誕生日にチョコレートを作ると「これ、絶対売ったらいいよ」と褒められて、その気になってしまって(笑)。

 娘が中学に入る少し前、手が離れた時期に、きちんとチョコレートを基礎から勉強してビジネスを始めようと考えました。それで、3週間ではありますがフランスへの留学を決めました。

――さすがの行動力です。

 私が作りたかった生チョコレートやガナーシュの技術は、フランスが一番ですから。チョコレート専門学校が唯一あった、リヨンの学校に留学しました。けれど本当に大変で! あんなに人にいじめられたのは、生まれて初めてでした(笑)。

 基礎を学ぶつもりで短期間の講習を受けたのですが、プロのためのワークショップだったのです。親の代からショコラティエだったり、ホテルのペストリーシェフが揃っている中で、クラスでの初めの自己紹介で「私は主婦です」と口を開いたら、「なんでこんなところにいるんだ?」とバカにされまして……。

 技術について先生に質問しても「こんなことも知らないのか」の一言で、教えてくださらないんです。講師のシェフのプライドの高さには閉口しました(笑)。分からないから勉強に来ているのに誰も相手にしてくれない。頭にきて、荷物をまとめて帰ろうかと思ったけれど、高いお金を払って、娘をアメリカに置いてまで来たのに、何も習得せずに帰るのは悔しいと思い直しました。無視されても、教えてくれるまで、しつこくしつこく食い下がったら、最後には「他の人には内緒だけれど、こうやるんだよ」と教えてくれるほどの関係を築くことができました。

2022.10.16(日)
文=石津文子
撮影=深野未季