【第1回】
田原俊彦
初めてアイドルがデビューして人気者になる瞬間をリアルタイムで見たのは、田原俊彦だった。デビュー曲は「哀愁でいと」(1980年)。その名の通り、どこか哀愁漂うメロディーは、アメリカのアイドル歌手、レイフ・ギャレットの「New York City Nights」のカバーだった。
当時の歌番組では、欧米のヒット曲をコーナーでカバーすることも多かったし、知っての通り、西城秀樹の「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」のヒットが1979年ということを考えても、そんな流れを受けてのことなのかもしれないが、「哀愁」の漂うマイナーコードのダンス曲というのは、何かこちらに訴えかけるものがあった。
今の“トシちゃん”のイメージがどうなのかはわからないが、デビュー当時の“トシちゃん”というのは、意外にも、どこか陰鬱なイメージがあった。
それは、父親を小学校に入る頃に亡くし、母親思いで、苦労してアイドルになったエピソードを隠さなかったこともあるし、出演した「3年B組金八先生」(1979~1980年)で中学生を演じるのに、年齢が離れすぎているということで、年齢を詐称していたとか、そういうエピソードのひとつひとつが、「哀愁でいと」のように、どこか暗い影のように思えたからだ。
2019.06.12(水)
文=西森路代
写真=文藝春秋