「私は、メリー喜多川の運転手です」
そんなときに、エッセイストの玉村豊男さんが声をかけてくださったのです。玉村さんが長野で経営するワイナリーでワイントリュフを作り、販売するというありがたいお声がけでした。そのままワイン専門のショコラ店を続けようかとも考えました。ただ、日本人の好むワインは優しいので、カカオと組み合わせるのが難しい。日本の生クリームやバターの味も、アメリカとは全く異なります。
そこで、日本で作るなら、日本人の好みにあう和素材を中心にしたチョコレートにしよう、と頭を切り替えました。そして今のお店「世田谷トリュフ」を出すことにしました。フレーバーには、柚子や生姜、味噌、抹茶など、お茶に合う素材を工夫して使ったり、ワインを使ったショコラもメニューに加えています。
――帰国後に、ジャニーさんやメリーさんに連絡をして、作詞作曲家としての活動をすることは考えましたか?
実は、帰国してもメリーさんには連絡しませんでした。お店を始めたことをお知りになったら、かえって気を遣わせてしまいご迷惑をかけるのでは、という思いもありました。でも、どこかから「智ちゃんが日本に帰って来て、チョコレート作っているみたい」って耳に入ったらしいのです。
ある日突然ね、私のお店の前に黒塗りの車が止まりました。曇りガラスで中が見えない車で、ちょっと怖いなと思っていたら、若い男の人がお店に入ってきて、開口一番、「ここにあるチョコレート、全部ください」と言うのです! 映画みたいでしょう(笑)。驚いて「はい?」って聞き返したら、「私は、メリー喜多川の運転手です」って言うの。
値段も聞かず、封筒から現金を出して全部お買い上げくださいました。そして、運転手さんに携帯電話を渡されて。そこからメリーさんの、昔と全く変わらないお元気な声が聞こえました。とにかく「ありがとうございます」しかお伝えできませんでした。冗談のようなできごとでしたけれど、どこかですごくメリーさんらしいなぁとも思いました。
それから時々電話がかかってきて、例えば「明日までに80箱用意して」と、いきなり仰るんです。本当に嬉しいんですけど、私は一人でショコラを作っていたので、ふだんはそんなに一気に作れない。でもお気持ちがありがたくて、徹夜で作業して作っていました。「こんなにたくさん、どこに配られるんですか?」と尋ねたら、関ジャニ∞のメンバーとそのご家族全員や、メリーさんが通っていらした病院の先生とか、いろんなところに配っていたようでした。そうやって、さりげなく支えてくださいました。
――メリーさんは、仕事に厳しい方というイメージがありました。
事務所のタレントや家族を守るためには怖くなる方かもしれません。でも、一度関係を育んだ方に対しては、とことんお世話をしてくださる。そういう情の厚い、素晴らしい方です。メリーさんに私は足を向けて眠れません。
――メリーさんに最後にお会いになったのはいつですか?
私が5年前に帰国してからは、お電話だけでした。コロナ禍でもありましたし、ご高齢で外出は厳しかったようでしたが、最後までお話も、電話の声もはっきりしていました。
2022.10.16(日)
文=石津文子
撮影=深野未季