幸運を運んできてくれた私の相棒たる猫のベレンが突然、私の腕の中で逝ってしまった。ベレンとの別れが残したトラウマと向き合い続ける私の背中を強く押してくれたのは──。
漫画家のヤマザキマリさんが母や愛猫の死、別居婚や、息子の父親である詩人との10年愛などについて振り返る、週刊文春WOMANの連載「猫と私。時々、家族。」から、一部を抜粋し掲載します。
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10年続いた、イタリア人詩人との貧乏生活
ベレンが他界してからそれほど経ってもいないある日、私はかなり唐突に幼い猫の兄妹を迎えた。新しい猫を迎え入れるのに、私の背中を押してくれたのは、息子だ。
「ハハ(息子は私をハハと呼ぶ)、早めにこの家の“守り神”を探したほうがいいよ。ハハはずっと猫と暮らしてきた人だから、猫がいないと生活のバランスが崩れるよ。エジプト人たちも、だからいつも猫と一緒だった。新しい猫が来たところでベレンへの愛や思い出が消えるわけではないんだから」
息子は若いけれど感情面での経験値が高いので、時々示唆に富んだことを言う。海外を転々とする中で辛い思いをさせてきてしまったが、そうした経験をエネルギーに変えて、いまや達観した僧侶のような風格を纏っている。
息子の父親である自称詩人のイタリア人は、出自がかなり裕福な家であるせいか、お金の扱い方がよく分かっていない人だった。生家は没落し、金銭的援助は皆無で、どんな仕事も2日でクビになる。大学の文学部を出て詩を綴り、フィレンツェのコンセルバトーリオ(音楽院)でファゴットのディプロマ(卒業証明書)を取得したのに、それで仕事を得られるわけではなかった。真面目な人だったが、とにかくお金を生産できない。詩人と画家、まさに王道の貧乏カップルである。

そして、貧乏であるにも関わらず、私たちの暮らしには保健所からもらってきたアロという赤毛の猫がいた。詩人は猫に免疫のない人だったが、無理矢理アロと暮らしているうちに、猫好きになった。 生活は私がアルバイトを掛け持ちして支えるしかなかった。幸い、日本がバブルで、日本人観光者向けの美術関係のガイドや貿易商の取引の通訳など、仕事はたくさんあった。ブランド品や貴金属の取引の現場が多かったおかげで、そういったものへの私の目も肥えた。
なのに、家に帰ればガス・水道・電気も使えない。困窮は続いた。銀行が、商売を始めたい若者に資金を貸し出すというプロモーションをしていたので、申し込んだところ抽選に当たった。私は絵を描くのをやめ、詩人は詩を書くのをやめ、借りたお金でサン・ロレンツォ広場に露店を出す権利を買い、アルバイトまで雇ってアクセサリーを売り始めた。しかし、雇ったアルバイトの女の子はレジから平気でお金を盗み、店の商品は毎日のように万引きされた。その度に私は犯人を追いかけて、罵詈雑言で怒鳴りつける。性格がどんどんやさぐれていった。
2025.10.03(金)
文=こみねあつこ