破天荒な母・リョウコさんに育てられたヤマザキマリさんは、イタリアでシングルマザーとして出産。イタリア人の夫と結婚したのちは、シリア、ポルトガル、アメリカなど、世界のあちこちで子育てをした。

 ハーバード大学医学部准教授であり小児精神科医の内田舞さんは、アメリカ人の夫と結婚、3児の母に。

 ともに海外での出産・育児を経験した二人が、「母」を語る。


ワクチンを受けた妊婦姿の写真が大炎上

内田 私はアメリカで小児精神科医をしているのですが、このコロナ禍で予期せず、妊婦として新型コロナワクチンの啓発活動をすることになりました。その過程で「母」に向けられる日本社会からのプレッシャーを実体験して、これは問題だと今回、『ソーシャルジャスティス』という本を書いたんです。

ヤマザキ 妊婦だったころの内田さんが表紙で、本屋さんでも圧倒的なインパクトを放っていましたよ。ずいぶんとバッシングされたと聞いたときは、自分の経験も踏まえ、感慨深くなりました。

内田 この写真が物語の始まりでした。まだパンデミック初期のころ、勤務先の病院スタッフが撮ってくれた一枚です。私はアメリカの医者として、世界でも初めてに近い段階で、3人目の子どもを妊娠中にワクチン接種をしました。後に続く妊婦さんたちの判断の助けになるようにと病院が私の写真をSNSに投稿したところ、日本から大きな反響が寄せられ、「妊婦なのに肩を出している」とか、「あなたのお腹の子どもは死ぬ」という誹謗中傷もたくさん受けたんです。

 この背景を考えて、日本では家族を守るための責任ある判断が母親の肩に過剰にかかり、どんな判断をしても母親が批判の対象になるという問題に気づかされた。そんな日本のお母さんたちを放っておけないと発信を始めたんです。

ヤマザキ それは日本の「母」というフォーミュラに内田さんが収まらなかったってことでもありますよね。

 ちなみに私の母はまさに定型外の人でした。私は母に14歳でヨーロッパへ一人旅に出され、その後17歳でイタリア留学をしますが、『ヴィオラ母さん』にも書いたように、私は母には「母」という意識で接していませんでした。母は毎日がむしゃらに働いて生きる姿を見せてくれる存在であって、時々ふと母親らしいことをするんだけど、どこかおかしい。お弁当を作ってくれたと思ったら、お弁当箱にパンがギュッと詰め込まれているだけだったり、再婚した相手と離婚した後もその人の母親とは同居し続けたり。

 母にしてみれば母親業をちゃんとやっているつもりだったんでしょうけど、私にしてみれば面白い大人が一緒に暮らしている、という感覚です。一方で「母」という概念は、家族における役割以前に社会的記号としても機能していますよね。

「母親はこうあるべき」は脳の省エネ

内田 社会の中に「母」という概念への囚われがあるとすれば、それは「習慣の脳科学」として説明できます。脳は考えるときには多くのエネルギーを使うのですが、省エネ主義なので、習慣化したことは考えるエネルギーを節約するようにできている。これは「考え方」についても同じで、「女性はこうあるべき」とか「母親はこうあるべき」といった画一的なイメージに接し続けると、やがて「固定観念」という「習慣」が形成されていきます。この習慣化した考え方を変えるのにはまたエネルギーを要するものの、それとは違うイメージに触れたり、多様な経験をすることで固定観念を破ることができる。

ヤマザキ 私の母は単身で北海道に渡り、シングルマザーとして子ども2人を育てながらヴィオラ奏者として生計を立てていたんですが、あの当時の日本では女のそんな生き方が社会に受け入れてもらえるはずもない。母親なら母親らしく真っ当に子育てしなさい、と近所の人からも言われたり。しかし母は世間の声に耳を貸さず毅然と自分の意志を貫くうちに、周りもそんなもんかと受け入れていったそうです。

内田 日本にはもしかしたら変化を求めにくい空気があるかもしれない、だからこそ変化を夢見ていこうよというメッセージを「ソーシャルジャスティス」という言葉に込めたんですが、『ヴィオラ母さん』のように定型外の女性像、母親像、人間像を見せてくれる人がいることも、私は変化のための種まきだと思います。

ヤマザキ 外国人のパートナーを得て、海外で働きながら子どもも育てる日本女性は、これからも増えるかもしれません。今はまだ過渡期で私たちのような外来種は戸惑いの要因でしかありませんが、過去と比べて今の日本は明らかに世界に開かれている。やがて耕された土壌には、米だろうとズッキーニだろうとなんでも育つようになっていくでしょう。

2023.06.18(日)
Photograph=Wataru Sato

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