困窮が続く中での猫との生活

 その頃、家では詩人が友人から生後6カ月の雌猫を貰い受けてきた。モモと名付けられたこの雌猫は、あっという間にアロの子を妊娠し、健やかな7匹の仔猫が生まれた。モモは、猫的なプライドがまったく感じられない、庶民的で性格のよい猫だった。出産の際には何度も私の足元に来て、しつらえてあげた出産用ベッドに一緒に来てくれと私を促す。こうして私は7匹すべての誕生に立ち会った。

 一方、ずっと悠々自適にやってきた自分勝手なアロは、仔猫たちが成長するにつれて、家での居心地が悪くなったらしい。ある日2階の窓から中庭に飛び降りると、そのまま行方をくらましてしまった。お父さんは疲れて逃げ出してしまったのだ。

 私も詩人との暮らしに行き詰まると、アパートの階下に暮らすドイツ人女性に相談をした。彼女は独り暮らしでロシアンブルーの猫を飼っていた。お互いに猫好きということもあって仲良くなったのだ。詩人の件については、相談を持ちかけるたびに呆れた顔で「なぜ別れないの。見るに堪えない」と漏らした。「こんな目に遭わされて、あなたマゾなんじゃないの」と。……そうかもしれない。

稼いでも、右から左へ借金返済に消えていく

 それでも私は知識のかたまりだった詩人とはなかなか別れられなかった。文学だけではなく、この人と一緒にいたおかげで、それまで知らなかった映画作品ともたくさん出会えた。パゾリーニ、ベルイマン、タルコフスキー、ヘルツォーク、そしてアメリカン・ニューシネマもこの詩人によって開拓できた世界である。

 私も詩人も貧乏でろくにご飯も食べられなかったが、本を読み、映画を観ていれば、それで満腹だった。当時の私が生きるために必要としていたのは、腹を満たすご飯ではなく、知識と教養だった。お金は稼げなくても、そうした供給はしてくれていたので、離れられなかったのだ。

 とはいえ、現実の世界ではお金がなければ生きられない。働き口があるのは基本的に私だけで、どんなに稼いでも、右から左へと借金の返済に消えていく。食品や日用品はツケで調達し、たまったツケを支払えないのでなかなか店の前を通ることができず、店が閉まるまで公園で待たなければならなかった。家に訪ねて来た物乞いは、私の顔を見るなり「ごめんなさい」と言い残して去っていった。私の外観も貧しさに殺気立っていた。

 モモと7匹の猫は、そんな荒んだ主人と一緒に暮らしていながら、いつも気丈で愛らしかった。まもなく仔猫たちは里子に出すことになってしまったものの、もしかすると彼女たちがいてくれたおかげで、私は精神を破綻させずにいられたのかもしれない。

2025.10.03(金)
文=こみねあつこ