つわりの最中に、高利貸しの借金取りに追われることに

 私は子どもを産むことに決め、詩人もそれを受け入れた。いったんは起死回生を図ってビジネスの幅を広げたが、悪徳業者の口車に乗せられ、借金を重ねて露店を2つも買い足し、それが足を引っ張って結局、倒産。こちらはつわりの最中だったが、銀行だけでなく高利貸しの借金取りにも追われることになった。

 しかし、そんな酷い状況下でも、私のお腹では命が育っている。この命はよほど私の子どもとして生まれてきたいのだ、と捉えることにした。そして私は詩人との別れを強く意識するようになった。

子どもを食べさせるために油絵を捨て、「漫画」の道へ

 予定日より1カ月も早く陣痛が始まり、病院へ辿り着いたその3時間後に元気な男の子が生まれた。詩人もひょっとしてこの子に会えば改心するのではないだろうかという期待が脳裏を過ぎるが、彼は出産を終えたばかりの私に向かって「実はお金がなくて、子どものために君が店で選んだものを引き取りに行けていない。今からお金を作ってくる」と言うだけだった。生まれた子どもにパゾリーニの映画を観せて、「お腹が空いていてもこの映画を観て乗り越えよう!」などと言えるわけもない現実を、詩人は理解していないように思えた。

 私は入院中、とりあえず油絵で食べていこうという幻想を捨て、自分と子どものお腹を満たすための、経済生産性のある仕事をしようと決意した。そのとっかかりが「漫画」だった。

 子どもの授乳期、アカデミアの友人から勧められ、日本の留学生が置いていった漫画本を参考に人生で初めて短編の作品を描き、日本の出版社に送ったところ、小さな賞をもらった。漫画を通じて日本と接点ができたことは、母として子育てをするための実践力の自覚と同時に、私の日本への帰国を後押しするきっかけとなった。

※記事全文は『週刊文春WOMAN2025夏号』に掲載。幼少期の動物とのふれあいやイタリア人夫との別居婚、国際結婚を通じて知ったイタリア人の家族事情などを記した連載の最新話は、現在発売中の『週刊文春WOMAN2025秋号』で読むことができます。

Mari Yamazaki
1967年東京都出身。漫画家・文筆家・画家。日本女子大学国際文化学部国際文化学科特別招聘教授、東京造形大学客員教授。84年よりフィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。主な受賞歴に2010年『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)でマンガ大賞2010、第14回手塚治虫文化賞短編賞。15年度芸術選奨文部科学大臣新人賞。17年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ章。24年『プリニウス』(とり・みき氏と共著)で第28回手塚治虫文化賞のマンガ大賞。著書に『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『貧乏ピッツァ』(新潮社)など。現在、『続テルマエ・ロマエ』を集英社「少年ジャンプ+」で連載中、2巻が好評発売中。

写真提供:ヤマザキマリ

2025.10.03(金)
文=こみねあつこ