今月Netflixで公開され、世界TOP10入りを果たした映画『10DANCE』。二人の競技ダンス王者が、10種のダンスで競う「10ダンス」に挑むために互いの専門分野を教え合うことに。深夜の教室で二人でトレーニングをするうちに、互いの愛に突き動かされていくさまを描く。世界にも評価された、Netflix映画『10DANCE』の画期性とは。


Netflix映画『10DANCE』は、紛れもない「BL」

 Netflix映画『10DANCE』は、なぜ「BL」でなければならないのか。まず、この点から逃げずに書き始めたいと思います。

 Netflixが本作を実写化するにあたって、もっとも守らなければならなかったもの、そして実際に画面から溢れ出しているもの。それは、本作が紛れもない「BL(ボーイズラブ)」であるという事実です。

 BL漫画の実写化にあたっては「一般層への訴求」という名目で、その官能性や同性愛的な引力が「厚い友情」や「爽やかなスポーツ根性もの」へ寄せたり、「BLの枠に収まらない人間ドラマ」なんていう耳あたりのいい言葉に勝手に変換されることがあります。

 しかし、Netflix映画『10DANCE』の制作陣はその風潮を鮮やかに跳ね除けました! 井上佐藤原作の『10DANCE』で描かれるのは、「切磋琢磨」などという綺麗ごとでは片付けられない、もっと泥臭く、もっと剥き出しの「他者の身体への渇望」。ゆえに、本作がBLであることを前面に出したまま実写化されたのは、必然なのです。

 ラテンの王者・鈴木信也(竹内涼真)とスタンダードの王者・杉木信也(町田啓太)。この二人がフロアで組むとき、そこに耽美な欲望が立ち昇ります。

 本作において、ダンスは単なる競技ではありません。それは言葉以上に雄弁な、肉体による「対話」であり、もっと踏み込めば「交わり」そのもの。杉木が鈴木の腰を引き寄せ、鈴木が杉木の視線を真っ向から受け止めるその瞬間、画面には逃げ場のない求愛とエロティシズムが充満します。

 これをBL以外の言葉で語るのは、批評的思考の怠慢でさえあると思うのです。彼らのステップに私たちがこれほどまで心をかき乱されるのは、映画版もBLとしての輪郭を鮮明に保っているから。

 もしあなたが本作に心を動かされたなら、おめでとうございます、あなたはBLに夢中になったということです!

 それが多言語で吹き替えられ、字幕がつけられて世界へ発信され、Netflix週間グローバルTOP10(非英語映画)で4位を獲得した。これはBLが限られた市場でのみ盛り上がるものではなく、多くの視聴者を魅了できる、グローバルコンテンツであることの証です。

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