〈「銀二郎さん、逃げて!」『ばけばけ』トキの夫は“かわいそうな人”ではなかった…史実でその後に起きた“意外な展開”とは?〉から続く
小泉八雲と妻・セツをモデルにしたNHK連続テレビ小説『ばけばけ』。松江の没落士族の娘と、アメリカからやってきた新聞記者という、言葉も文化も異なる2人が今後どのように夫婦になっていくのか。気になる展開が続いている。
そんな朝ドラを観ながら、「実際の2人はどうだったのだろう」と気になった人も多いのではないだろうか。
借金の返済に追われる生活、最初の夫との別れ、実の父母との複雑な関係……。『ばけばけ』では朝からハードな展開が続くが、実はそれこそが、のちに夫婦となる2人をつなぐ“共通点”だったのである。
八雲とセツのひ孫で、小泉八雲記念館の館長を務める小泉凡氏が語った『セツと八雲』(朝日新聞出版)より、3回にわたって抜粋。知られざる夫婦の実像に迫る。(全3回の2回目/最初から読む)
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転々と職を変え、続いた赤貧の暮らし
19世紀半ば、きわめて深刻な飢饉に苦しめられたアイルランドからおびただしい人がアメリカに移り住みます。いきおい、アイルランド系の人には厳しい目が向けられることが多かったといいます。
八雲は1869(明治2)年、ニューヨークに渡りました。かぼそい縁をたより、オハイオ州のシンシナティに行きます。書記として入った会社ではきちんと計算ができず、解雇されます。電報配達の仕事に就きましたが、年下にからかわれ、給料も受け取らずにやめてしまいました。
ぶきっちょな人なのです。
頑固者で、これだ、と決めたことには邁進する。それはそれでいいのですが、身辺のことを要領よくこなす、ということが全くできない。
現代のように、コスパとかタイパというような効率性をもっぱら求められたら、すぐに立ち往生してしまうでしょう。
転々と職を変わらざるをえず、赤貧の暮らしが続きました。馬小屋に入り込み、干し草のなかに入って暖を取り、しのぐ夜もありました。
小泉八雲が「オールド・ダッド」と呼んだ恩人
そんな折、印刷屋を営むヘンリー・ワトキンという老人が救いの手を差し伸べます。三度の食事と印刷で余った紙をつかった寝床を用意してくれます。移民の家系で、片方の目が不自由な人でした。同じような境遇の若者が路頭に迷っているのを、放っておけなかったのでしょう。父親の愛情を知らぬ八雲はこの人物を「オールド・ダッド」と呼んで、生涯、慕いました。
居候のような暮らしでしたが、持ち前の文才を磨こうと、独習を重ねます。折しもオープンしたばかりのシンシナティ公立図書館には膨大な書籍があり、そこを居場所として読書に努めます。ライターとして習作に励み、ボストンの週刊誌などに寄稿を続けました。










