小泉八雲と妻・セツをモデルにしたNHK連続テレビ小説『ばけばけ』。松江の没落士族の娘と、アメリカからやってきた新聞記者という、言葉も文化も異なる2人が今後どのように夫婦になっていくのか。気になる展開が続いている。
そんな朝ドラを観ながら、「実際はどうだったのだろう」と気になった人も多いのではないだろうか。
八雲とセツのひ孫で、小泉八雲記念館の館長を務める小泉凡氏が語った『セツと八雲』(朝日新聞出版)より、3回にわたって抜粋。今回は、『ばけばけ』で寛一郎演じる松野銀二郎のモデルとなった、セツの“最初の夫”とのエピソードを紹介する。
朝ドラでは新婚生活から逃げ出すも、視聴者からは「銀二郎逃げ切れ!」「見つかるな!」など同情する声の多かった彼の“その後”はどうだったのか。(全3回の1回目/続きを読む)
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生活に耐えられずに出奔した“最初の夫”
セツが18歳の頃、険しい暮らしに薄日が差します。因幡(現・鳥取県東部)の士族だった前田家から為二という人を養子に迎え、結婚したのです。
たしなみのある人で、浄瑠璃に通じていました。近松門左衛門の作品を愛読していたそうです。勧められ、セツも近松作品を読むようになりました。物語が好きな者同士。つかの間、やわらかな時が流れます。
でも、この結婚は暗転してしまいます。
養祖父の万右衛門は旧士族として武士の気位を捨てず、婿養子の為二を家風にあわせようと厳格に接しました。
そもそも稲垣家には、いつ払い終えるとも分からない借金が重くのしかかっています。養父の金十郎は、明治の世では収入を得ることができません。それなのに、すべては鳥取からきたばかりの為二にかかっていると周囲にはみなされる。
将来を悲観した為二は耐えられなくなり、わずか1年ほどで稲垣家を捨て、出奔してしまいます。
セツはやがて大阪に為二がいることを突き止めました。矢も盾もたまらず、大阪に向かいます。
出奔の3年ほど前、1884(明治17)年に大阪商船が大阪、下関、浜田、境を結ぶ航路を開設しています。きっとセツは松江から汽船で境港へ行き、そこからこの日本海航路で何日もかけて大阪へ向かったものと思われます。貧窮するなかですから、旅費の工面が簡単なはずはありません。なんとしても為二を呼び戻す、その一心だったのでしょう。










