帰ってくるよう懇願したが、夫の答えは…

 ようやく大阪まで辿り着き、為二に帰ってくるよう懇願しました。でも、受け入れられませんでした。

 セツは絶望の余り、橋の上から身投げしようと思い詰めた、と伝わっています。でも死んでしまえば、どうなるのか。自分のささやかな稼ぎでどうにか暮らしをつないでいる養父母らは……踏みとどまり、松江に戻りました。

 子どもの頃から逆風が吹き通しでした。所帯を持ち、やっと光が差してきたかと思えば、夫は冷淡にも去り、何の展望も見いだせなかったのです。

 絶望した大阪からの帰り道、どんな顔をして歩いていたのか。ひ孫の僕としてもセツの心中を思うと、胸がつぶれる思いがします。

 ともあれ離婚に伴う戸籍上の都合からセツは小泉家に復籍し、小泉セツと名乗りつつ、稲垣家の養父母との暮らしは保ち続けます。

最初の夫の「意外なその後」

 逆境の時ほど浮かび上がるのが、人間性だと僕は思います。普段は控えめなセツですが、この時の行動から見えてくるのは、目を見張るような行動力と、簡単には諦めない精神です。つまり、明日を信じる向日性です。

 行方をくらました為二を、交通手段が整っていなかった大阪まで追いかけていったのは不首尾に終わったにせよ、たいしたものです。

 険しい世の中になっても、陰になり日向になり、自分をかばい、温かく育ててくれた養父母への思いが芯にありました。その強さは尋常ではない、と思います。

 余談になりますが、この為二は後年、商売に成功したそうです。そんな商才を宿した人にとって、借財にあえぐ稲垣家の状況はいかにも絶望的だった、と言えるかもしれません。

 そして、この人物に教えられた物語が、後にセツの運命をがらりと変えるきっかけになるのです。「鳥取の布団」という、寄る辺なき、ちいさな兄弟が、肩寄せ合って生きようとしたお話です。

 どんな風に運命を変えたのか。それを語る前に、八雲について少しお話をさせてください。

“違法”と知りながらプロポーズ→新聞社をクビに…『ばけばけ』ヘブン先生のモデル・小泉八雲を苦しめた“最初の結婚”〉へ続く