21歳年上の子持ちピアノ教師を夫から略奪
しかし、一番ショッキングだったのは彼のピアノそのもの。卓越したテクニックに恵まれ、どんな高速のパッセージも無茶な分散和音も楽々と弾いてみせる彼は、「優等生的に演奏するなんてつまらない」とばかり、楽譜のテンポ指定より極端に遅く弾いたり、強弱の指定を真逆にしたり、伝統的なニュアンスを完全に無視した演奏をしたのです。
ショパンコンクール落選の翌年に名門ドイツ・グラモフォンからリリースされたデビュー盤『ショパン・リサイタル』には、22歳のポゴレリッチの見事な反骨精神と孤高の美学が溢れ出していて、今聞いても少しも色あせたところがない。強烈な「個」を打ち出した音楽性は、逆にこの人の月並みならぬ「客観」を映し出しているとも言えます。
世界中でリサイタルは満員になり、録音は好セールスを記録し、ポゴレリッチは伝説のヒーローになっていくのですが、若き日の彼が素晴らしい美青年であったことも大きな要因でした。ぼさぼさの髪をした天才ピアニストは、ロック・ミュージシャンのように若者から崇拝され、日本でも多くの熱狂的ファンが夢中になったのです。
自分の居場所を自力で作り上げたポゴレリッチですが、異形の芸術性で闘う彼の精神的支柱となっていた人物がピアノ教師アリス・ケゼラーゼでした。22歳のポゴレリッチは43歳のケゼラーゼに結婚を申し込み、夫と息子がいた彼女は一度はプロポーズを断ったといいますが、息子を連れて彼のもとに走ります。「義理の息子」となった連れ子は、ポゴレリッチと年がそれほど離れていなかったとも。これも彼の伝説のひとつでした。
2014.12.11(木)
文=小田島久恵