古代ローマ帝国の浴場設計士ルシウスが、現代日本の温泉にタイムスリップするコメディ漫画『テルマエ・ロマエ』で知られる漫画家・文筆家・画家のヤマザキマリさん。高校を中退してのイタリア留学、極貧、シングルマザー、そして挫折の日々を語ったNHK Eテレの番組は大きな反響を呼びました。今回、その内容を書籍化した『最後の講義 漫画家・文筆家・画家 ヤマザキマリ』より、一部を紹介します。(全3回の1回目/続きを読む)
自由奔放なヴィオラ奏者の母に「用事ができて行けなくなったから、あなたが代わりに行ってきて」と軽いノリで提案され、二つ返事でヨーロッパ旅行を承諾した14歳のヤマザキさんは……。
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「家出少女だろう」「母親から行ってこいと言われました」
この旅行をしたのが1981年、当時日本では松田聖子さんをはじめアイドルが全盛期の時期でした。美容室で私もアイドル風のふわふわしたかわいらしい髪形にされていましたが、それに加えて世の中のことなどまったく何もわかっていない顔つきの14歳は、ヨーロッパでは10歳くらいにしか見えなかったのだと思います。
ブリュッセルのホームでドイツからフランスへの乗り換えの電車を待っていたら、おじいさんが私をつけてきて、「おまえは家出少女だろう」と片言の英語で話しかけてきました。私も中学2年生の英語しか知らないので、片言の英語で「違います。私の母親がこの旅行を計画して、母親から行ってこいと言われました」と、知ってる限りのボキャブラリーを駆使して一生懸命に伝えました。すると、そのおじいさんは「そんなウソをつくな、ありえない。こんな幼い子どもを一人きりで旅に出す親など、この世のどこを探してもいるはずがない」と言うので、「いや、いるんですよ、それが一人」と返しました。
するとそのおじいさんは、少し関心を持ったみたいで私の前にどかっと座り、「そもそもなぜヨーロッパに来た?」と聞いてくるわけです。ドイツやフランスの教会や美術館へ行って本場の芸術とふれてきたかった、という話をしたところ、おじいさんは突然激怒して「芸術にふれたくてフランスとドイツだ? なぜ1カ月も期間がありながら、おまえはイタリアへ来なかったのだ!」と怒り出したんです。そのおじいさんはイタリア人でした。
おじいさんから渡されたもの
「すべての道はローマに通ず」と紙に書いてずっと持ち歩け! と英語で言われて、書かされました。それから「おまえが誰かにさらわれることなく日本に帰ったか心配で眠れなくなるから、帰国したら母親から私に手紙を書くように」と絵ハガキを1枚もらいました。その絵ハガキには、ヴァチカン美術館所蔵の陶器製の祈祷台、教会などでお祈りをするための立派な作品の写真が印刷されていました。それは自分の祖先がつくったもので、おじいさん自身も陶芸家だと言うのです。何かあったらとにかく手紙をくれということで、帰ってから母に、こんな人に出会って説教されたので、手紙を書いて私の旅は母の意思だったと伝えてほしいと頼みました。
1通目を送ったあと、おじいさんからすぐに返事が届き、その後、母と彼は頻繁に手紙のやりとりをする友だちになったのです。おじいさんも戦争を生きてきた人で、インドでしばらく捕虜になっていたそうです。そのときに、城壁の中でどうやって楽しく生きられるかをいろいろ模索してポンコツの楽器をかき集めてオーケストラをつくり、ロバを調教してサーカスもつくったそう。それから古いレコードを溶かしてボタンにしてそこに絵を描いたら、イギリス人の将校さんにとても気に入られて1個100円で売れて、すごいお金持ちになった……。なんてことを手紙に書いてくるらしく、母は「あなた、素晴らしい人に会ってきたわよ」と興奮していました。
今思えば、このおじいさんは限定的な環境においてのエンタメの必然性をしっかり認知していたということになりますね。そりゃ東洋の何もわかっていない小娘に説教もしたくなったでしょう。
