実は身近に存在している“何かの気配”
1階の展示は、土地や歴史に根ざしたゴーストを表現した作品が多く展示されていました。特に印象的だったのは、写真家の岩根 愛さんによる、福島とハワイ移民を巡る作品《KIPUKA》です。かつて飢饉や貧困から逃れるためにハワイに移住してサトウキビ労働者として働いた日本人家族が、畑の葉と重なり合って融合し、まるで亡霊のように写真から浮かび上がっています。
心霊マニア的に言えば、これは「土地に残った思念」そのものです(実際に、よく似た心霊写真を持っています)。彼らが一体どんな気持ちでハワイで暮らし、望郷を思い、未来を見ていたのか。その「念」が、写真の中で幾層にも重なり、静かに立ちのぼってくるようでした。では、その念はいったいどこへ行き着くのか――。その答えのひとつは、作品群の中で確かに表現されています。だからこそ、これはぜひ会場で体感してほしい。まさに“ゴースト”というテーマにふさわしい、見えない何かの気配、そしてその行き先までをも感じさせる作品でした。
もうひとつ印象に残ったのは、丹羽良徳さんの映像作品です。彼はモスクワの駅などで「レーニンを捜しています」というチラシを配り、連絡してきた市民の家を訪ねて、レーニン関連の品を探すというプロジェクトを実行しています。
最初は正直、「これ、ゴースト展に置いていいの?」と思いました。どちらかというと社会派ドキュメンタリーのようだし、幽霊の出る隙なんてなさそうなのです。ところが、映像を見続けているうちに、少しずつ空気が変わっていく。人々が古びたレーニン人形や肖像画を取り出してきて、そこに込めた思いや感情を語り出すんです。その瞬間、「ああ、そういうことか」とストンと落ちました。今回の展示のテーマは「見えないものを見る」なんですが、丹羽さんの作品ではむしろ「見えているのに、もう失われてしまったもの」が描かれている。つまり、モノはまだそこにあるけど、心はもう離れてしまっている。あるいは、隠してはいるけど、まだ崇拝が残っている――そんな現実と心のズレが浮かび上がってくるんです。結局のところ、「モノの存在」と「心の所在」は、必ずしもイコールじゃない。そのギャップこそ、現代社会に漂う見えない霊気――つまり“ゴースト”の正体なのかもしれないと気付かされた作品でした。とても興味深かったです。
いざ、ゴースト展の深淵部へ!
階段を下る瞬間、空気がガラリと変わります。まるで異世界に足を踏み入れたような感覚。今回の展示で、特に心をつかまれたのが、尾花賢一さんと石倉敏明さんによる共同作品《赤城山リミナリティpart2/火山娘たちのドリーミング》です。
モチーフになっているのは、群馬県北東部にある赤城山と、そのカルデラに生まれた二つの湖に伝わる古い伝承。16歳の少女が赤城神社に参拝したのち、沼へと身を投じ、龍の姿に変わってそのまま沼の主となった――という話です。
……はい、正直、ちょっと怖いです。でも同時に、ものすごくロマンチックでもある。人が神や自然と溶け合う話は“美しさ”と“恐ろしさ”が同居していて怪しげな魅力があるんですよね。階段を一歩下がるたびに沼地に足を踏み入れて自分も体ごと異界に呑まれていくような、そんな体験を楽しみました。少し恐ろしかったですが……。
