「何をして生きるのか」自問自答する日々
カミさんは、「葬式も告別式もしないでね。みんなに迷惑かけるから」と言っていたし、ぼくも形式的なことは嫌いで、結婚式もしなかったから、すべてを内密に運んで、ほんの身内だけでいっさいをすませた。
遺影はカミさんが一番好きだった茶室にかざってある。
写真のカミさんは微笑している。
12月22日午後4時、カミさんがかわいがっていた愛犬のチャコが12歳で、カミさんとおなじ肝臓癌で死んだ。
1カ月後のおなじ日、おなじ時刻である。カミさんが連れていった、とぼくは思った。

11月22日というのもおぼえ易い日で、カミさんが「あなたは忘れっぽいからこの日にしたわ」ということではないかと思う。
とにかく、ぼくはしばらく茫然自失。夜はねむれず、精神安定剤をのんだ。食欲もなくなった。
このあとぼくはいったい何をするべきか。何を目標に生きるべきか。
アンパンマンのテーマソングはぼくの作詞だが、幼児アニメーションのテーマソングとしては重い問いかけになっている。ぼくはお子さまランチや、子供だましの甘さを嫌った。
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
わからないままおわる
そんなのはいやだ!
何をして生きるのか、自分に問いかける時が来た。
カミさんのための鎮魂。そして自分はいったいどのようにして死んでいくのか。墓地はどうしようか。人生の結末を考えなくてはいけなかった。
ぼくのプランは65歳までだった。そのあたりで引退し、カミさんに見まもられながらささやかな人生の最後をむかえる。カミさんはしっかりした人だから、すべてキチンと始末してくれるだろう。ただ、カミさんがぼくの死後も生きていかれるようにしておかないと、ひとりになったカミさんが困る、とそれだけが心配だった。
ところがぼくが生き残った。
〈「全財産はアンパンマンに贈る」妻を失った孤独感も赤裸々に…やなせたかしが晩年に書いた“遺書”の中身〉へ続く

2025.10.10(金)
著者=やなせたかし